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カテゴリ:私の生きる道。
いつかも一度、書いたことがある。
私は時々、ほんの時々、 高校の英語の先生の台詞を思い出す。 「ぼくたちは未来に向かって力強く歩いている。」 「だけど、時々過去を振り返る。」 現在完了を授業で取り上げるときは必ず、 (それがたとえ補習であっても講座であっても) この台詞とともに、一つの絵を黒板に描いた。 そして、私がこの台詞を思い出すのは、 力強く未来に向かって歩くことを休み、 過去を振り返る、そんなときである。 今日は、大学時代の友人、先輩と何通かメールを交換した。 私のケータイはグループ分けで登録されているので、 大学の友人から来たメールは着メロが違う。 意外にも、突然aikoが鳴り響いた時はかなり驚いた。 今、ウメの名付け親である、 愛すべき友人と、ウメのラストドライブを計画中だ。 急でなおかつ無謀な計画を立てているために、 (大半が「なんとかなる」ですませるのだろうけれど) 先輩に連絡を取ってみたりしていたのだが、 もしかしたら、その引力だろうか、 別のところで仕事をしている友人からもメールが来た。 ぐっと過去に引き戻された気がして、 感傷的になった私は、アルバムを開いてみた。 その中には笑顔の私がたくさん写っていた。 時間が経ったなぁ、と思う。 おそらく、そのときに比べて、得たものもある。 経験。 冷静さ。 肉と体重。(←いらん) 落ち着いた雰囲気。 処世術。 …という名のずるさ。 逆に失ったもの。 若さ。 勢い。 無謀さ。 みずみずしさ。 底抜けの明るさ。 根拠のない希望。 若いだけでは許されない雰囲気の中に放り込まれ、 ストレスか運動不足か、体重が一気に増えた。 春に比べて3キロ減ったけれど、 大学時代に比べたら確実に5キロは重い。 同年代の人と話す機会もなくなり、 会話のノリは彼女たちのレベルに近いけれど、 それにあわせることのできないこの立場。 若さが罪であるような雰囲気。 目を閉じれば、昨日まで大学生だったようにも思えるし、 職に就いたのがかなり昔のことのようにも思える。 一体私が思い描いているのは、 どの「昨日」で、 私が目指しているのは、 どんな「明日」なんだろう、と頭がぐるぐるになる。 大阪に行った時は、ピンク色のフリースを着ていた。 名古屋には真っ赤なスカートをはいていった。 京都には黒いノースリーブで猛暑の中歩き回った。 郡山にいた私は、ショートカットで今よりかなり小顔だった。 甲子園では、真っ赤なTシャツでびしょぬれになった。 富良野には花柄のシャツを着て行った。 TDSやUSJに行った頃は、前髪はなかった。 9・11は日本で迎え、グァムに思いをはせていた。 拠点になっていたのは、大学生である自分が戻るべき場所、 ある意味で今では「第二の故郷」といえる場所だ。 そこから離れてしまった今、 確実にかつてそこにいた自分とは違っているといえる。 「ぼくたちは未来へ向かって力強く歩いている」 だけど、 「時々過去を振り返る」 それは、 確実に変わってゆく自分を再確認し、 また、未来に向かって歩き出す原動力を見出すためでもある。 来週、最愛の友人と、 日本三大庭園のある小京都を訪れます。 縁のある方々、お会いできたら光栄です。 時間は限られているから、 連絡したい人は山ほどいるのだけれど、連絡できずにいる。 本当は、7日の夜スカパラとともにいたかったよ。 8日には、後輩たちの晴れ舞台も拝みたかったよ。 さて。 どうなることやら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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