生きてるってすばらしい。
今日は高校時代の友人とサシで飲みに行った。現在助産士の仕事をしている友人だ。6時に待ち合わせて10時過ぎに新年会を終えた妹が迎えに来るまで、食べまくり飲みまくりで話し込んだ。行ったお店も節操がなかったというかなんというか。ペペロンチーノと野菜のソテーと豚の角煮と漬物盛り合わせが何食わぬ顔でメニューに並んでいる。私たちもその雰囲気に便乗し、パスタやサラダを食べつつも、串焼きや角煮、漬物を食し、カクテルを飲んでみたあとに、熱燗で語り合う、という、一見わけのわからない、それでいてやっぱり秩序のない飲み方をしたのだった。医師、看護関係者、教員が、精神的に病気になりやすいトップ3なのだそうだ。確かに、と改めて思った。友人の話を聞くと、たいていのことはたいしたことがないように思えてしまう。人の「生」の始まりに立ち会えることは素敵だが、逆に望まない「生」を生み出さない場にも立ち会わなければならないようで、実際に彼女は「高校までの勉強は役に立たない」と言い切った。学校での勉強なんて、ほんの一握り、あとは、ここで知識や経験を得るの。とても濃い話をしたような気がする。(気のせいか?)恋愛面に関しては、二人とも「旱」状態で不毛な話をしていたのだけれども(笑)今日もまた、いろいろな人のその後の話を聞いた。彼女は高一の時の同級生だが、二年次からは文理別でクラスが分かれるので、理系つながりの人たちの近況やなんかを聞いたのだ。5年後、10年後、20年後、50年後、人はよく未来を思い描くけれど、極端な話、その5年後に自分が生きているとは限らない。みんながそのまま年を取って、今も生きていることが当たり前のことのように思いすぎていて、私はすっかり忘れていたのだ。一緒に高校を卒業した同窓生で今はこの世にいない人がいたことを。日々を生きるのに精一杯で、しかもその精一杯が他の誰にもあると勝手に思っていた。だけど、その精一杯すら絶たれてしまった人もいるんだ。今、かつて同じ学び舎で過ごした人たちは、それぞれの道を歩もうとしている。大学院に進学していた友人たちも、そろそろ社会に出る頃だ。かつて見ていた夢は実現されているのだろうか。それとも、現実を見つめ、違う方向に進んでいるのだろうか。私がこの職業に就きたいと思った動機はなんだっけ。今のところ少なくともそれを越えているとは思わないな。理想と現実とのギャップ。時に挫折しそうになり、時にやる気を起こさせる。だけど、生きていればどうにでもなる。生きていることはすばらしいことだ。この世に「生」を受けたこと、そして、現在も「生」きながらえていること、それを忘れちゃいけない。結局は4時間お店に居座って、漬物盛り合わせの後に本日のケーキ3種盛りをオーダー(笑)貸切状態なのをいい事に、テーブル席にいたのに、カウンターまでケーキを物色に行く女子二名。サービスでジャスミンティーまで出させてしまうこの威力。人生に哲学を感じても、美味しさに腹肉は変えられぬ。う~ん、生きてるってすばらしい!