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カテゴリ:読書
あくび猫 南條竹則 文藝春秋
アラスジ:あたいは“チビ”。名前はちゃんとある。飄然とした独身30男の鰡野阿苦毘(とどのあくび)、通称・あくび先生に飼われてるの。このあくび先生、一応学者なんだけど、似たような変なお友達と、四六時中飲み食い歩きしてるのよ。あたいはお相伴に預かるから良いけどさ。あら、また今晩もご馳走食べにくみたい。あたいも連れてって…。南條版“我輩は猫である” 猫大好き、美味しいモノ大好きなら、是非ご一読頂きたい。 幸せな気分になれる。 こう言うほのぼのした本も、たまには良いなぁ。 著者の南條竹則は、『酒仙』で日本ファンタジー大賞の優秀賞を受賞。 多分、その折に読んだと思うのだが、こっちの方はそれほど良い出来だったとは記憶していない。 寧ろ、デビュー前に書いていた翻訳調の小作品の方が、リリカルで印象に残っているのだが。(と言っても、これも大昔に読んだものなので、南條作品ではない可能性も。あぁ、年を取ると記憶が…って、若い頃からいい加減な記憶力だけどさw) そもそもが英文学を専攻していたが、中国の方に転んだお方だとか。 ファンタジー賞の賞金で、満漢全席を敢行してしまったと言う剛の者でもある。 それゆえ、出てくるご馳走は中華が多い。 これがまぁ、なんとも美味しそうなのだ。 変に美辞麗句で飾っていない分、ちゃんと温度や油の香りまで伝わってくるご馳走が、次から次へと出てくる。 台湾で振舞われる精進春巻き、(中華じゃないけど)蒸し焼かれたみっしりとした子豚の丸焼き…うわぁ、食べたい。よだれがっw 美食を弄ぶ半可通ではなく、美味しく食事をしたいと言う真っ当な人々が集い食べる有様は、読んでいて気持ちが良いものだ。 と、食べ物話ばかりしてしまいそうになったが、この『あくび猫』は南條版の『我輩は猫である』。 クシャミ先生ならぬ、あくび先生、此方はご本家より春風駘蕩とした好人物。 ちゃんと名前をつけてもらっているチビも、ご主人の後を慕うワンコのような猫だ。(ご馳走欲しさでくっついて廻るのは、いかにも猫なんだけどね) この辺、斜に構えたご本家猫と違い、いかにもまだ幼いメス猫っぽくて可愛らしい。うちの最強生物様が喋ったら、こんな感じかも。 諏訪野チビ猫が雛型に入っている気もするな。 仙人じみた年寄り猫「猫爾薀(ねこにおん)」なる幽体離脱術を教わってまで、あくび先生にひっついていくのは、なかなか健気。 でも、幽体だからご馳走は指を咥えて見てるだけってマヌケさも、子猫ぽくて良しw と、誉めてばかりいたいのだが、この猫爾薀がもう少し生かされていたらとも思った。折角習得した技なのに、なんとなくそんなもんかなと言う感じで、さらりと終わってしまっている。(何度か使われるが) そもそもが、チビが語り手の割りには、いまいち存在感が薄いと言うか。 充分、可愛らしいのだけれど、我輩猫のふてぶてしさがない分、存在を主張しきれなかったのかもしれない。 ラストも、モノ食う人々が集って、にぎやかに、しかしどこか淡々と終わる。 チビが酔っ払って溺れ死ぬ事もなく、皆が美味しいご馳走で満腹になってテラテラとした顔が想像できる、幸せな光景だ。 ピーヒャラ笛の音のオマケまでついてるし。 最後、出てこなかったチビも、きっと猫爾薀で空中から眺めてニャーゴロゴロと鳴いていたかもね。 そんな事を考えて、ほんわかした気分になれる本。 軽めだが滋味ある文章、折々に口ずさまれる詩歌や海外文学の引用。 翻訳家としても活躍している著者の高い教養が嫌味なく漂い、ユーモアと格調が両立してある作品に仕上がっている。 それにしても、美味しいモノが食べたくなっちゃったよ。ニャーゴロゴロ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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