結晶の恋 『日々の泡』 ボリス・ヴィアン
アラスジ:遺産で裕福に気ままな生活を愉しむ純粋な青年コラン。彼は、可憐な乙女クロエと恋に落ち、幸せな結婚生活を手に入れた筈だったが…。コランの友人シックは分不相応なコレクション癖に没頭し、その恋人アリーズを悩ませる。煌く不思議な世界に繰り広げられる、若く純粋な若者たちの耐え難いまでに哀切な恋愛とその結末を描いた「二十世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」。実は、この2ヶ月ほど、殆ど読書に時間を割いていない。脳は確実に退化し続けている。まぁ、読んだからって、無い脳味噌が埋まるもんじゃないけど。この本も、実は読了したのはかなり前。因って、曖昧な記憶にての感想。なら書かなきゃいいじゃん…なんだけどね。書きたいwヴィアンは、好きな作家の愛読書らしいと言うことで、以前「心臓抜き」を読んでみた事がある。…わっかんねーwその独特の感性による前衛的な描写には心惹かれたが、実の処、言いたい事はあまりよくわからなかった。取敢えず、再読待ちの本棚の肥やしになってたりするwで、今更またヴィアンに手を出したのは、この『日々の泡』を翻案した映画を見たから。(そちらの感想はまた別立ての予定)順番が入れ違ったが、慌てて原作を探して読んだ。こちらは、ストンと入ってきた。胸にヤスリを掛けられるような痛みを感じつつ、没頭。伊達に“二十世紀の恋愛小説中もっとも悲痛”と銘打ってる訳じゃなかった。ありふれた若者の日常風景の描写からの導入で、一見すると当たり前の小説のように錯覚する。単にこじゃれたレトリックを使っているだけかと。だが、読み進めるうちに、やはりこの小説も幻想小説ともSFともつかぬ、不思議な味わいの世界である事に直ぐ気がつく。カクテルを調合するピアノ、奇想天外な料理、愛らしく人と戯れるハツカネズミ、恋人たちを包む甘い香りの薔薇色の雲。主人公コランの人生が明るく恋の喜びに満ちている様は、それらの不思議な事柄で表現されているかのようだ。だが、それらも、泡のように儚く弾け消え行く。可憐なクロエは肺に蓮の蕾を宿す奇病にかかり、幸せなイメージは逆方向へ渦巻き雪崩落ちる。“睡蓮”と言う清らかで美しい筈の花が、禍々しい吸引の中心となって。広く豪奢な部屋は醜く縮み、クロエが横たわるベットだけが贄の祭壇のように取り残される。ただ、花々に囲まれて。クロエ自身が蓮に捧げられた贄であり、花々はクロエに捧げられた贄であり。美しく悲惨な連鎖が、この小説を象徴するようだ。クロエの病が重篤になるにつれ、もう一組の恋人たちにも暗雲が立ち込める。シックは、その度が過ぎたコレクションへの傾倒で身を滅ぼし、恋人アリーズは悲しい復讐に走る。コランとクロエが儚くも美しい夢に滅ぼされたのに比べ、シックとアリーズは或る意味、現実に潰えた恋と言っても良いのかもしれない。コランがクロエとの夢を守るために労働と言う現実に没頭していくにつれ、シックは労働=現実を放棄し、己の夢想に逃げ込んでいく。片や相手への愛の為に、片や己が自己満足の為に、供に愛する者との距離を広げていく。二組の恋人たちの対比が、互いの悲惨さを際立たせる。物語は悲劇で終焉する。救済は施されない。現実から逃げたシックは現実に負け、アリーズはその現実に戦いを挑み燃え尽きる。そして、クロエの死は、あっけないほど素早く通り過ぎてしまう。屠られた贄は、役目を終えれば単なる屍骸にしか過ぎないのだ。この物語中、もっとも哀れに感じたのはラストのハツカネズミの選択だ。幸せと不幸せの間、唯一の救い的に取り動いていたハツカネズミが、自らの意思で選んだ答えは切ない。と同時に、明確な意思の強靭さにも胸を打たれる。あぁ、これは青春の恋物語だったのだと、改めて思い知る。青春は、痛くて残虐だ。恋もまた。誰もが知る、或いはいつか知る事になる、そのもっとも純粋な結晶がこの小説でろう。