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カテゴリ:読書
草の竪琴 トルーマン・カポーティ 新潮社
アラスジ:幼くして両親を亡くしたコリンは、遠縁の老姉妹に引き取られる。内気で夢見るように生きる姉・ドリーと、拝金主義で現実的な妹・ヴェリーナ。コリンは一目でドリーに心惹かれる。ドリーとその黒人の友・キャサリンによって、風変わりであるが暖かい少年期を送るコリン。だが、何十年も従順に生きてきたドリーが、支配的なヴェリーナに従い続ける事を止めた事で、大騒動が巻き起こり… HYDEのCOUNTDOWNに収録されているEVERGREENを聴いていたら、カポーティが読みたくなった。 このヴァージョンはそうでもないが、オリジナルのROENTGENは、カポーティに良く合うのだ。 と言う訳で、ROENTGEN(english version)を聴きつつ『草の竪琴』を読む。 うん、悪くはない。 本当は『遠い声 遠い部屋』が読みたかったのだが、本棚の樹海に紛れこんで見つからない。(…片付けなさいって) 『遠い』の方が、更に曲に融合するんだよなぁ。 共に、淡く美しい色彩の中に、デーモニッシュな影が潜んでいる気がする。 殊にSHALLOW SLEEPは、歌詞と言い世界観が『遠い…』にインスパイアされて出来たのかと思うほど嵌る。 この曲を好きな方なら、一度読んでみて欲しい本だ。 っと、話がずれていく。閑話休題。 いずれにせよ、カポーティは好きだ。 少年時代を振り返った自叙伝的作品である『遠い声 遠い部屋』『草の竪琴』は、美しく切ない佳作。 『カメレオンのための音楽』も、玄妙な味わいで良い。 と、さも詳しいファンであるかのような物言いだが、代表的作である『ティファニーで朝食を』『冷血』は一度も読んだ事がなかったりする。いい加減なのだw 『草の竪琴』は、近年映画化されたので、ご存知の方も多いのでは。 (私は未見だが、原作に忠実な映像だとかで、好評のようだ) “早熟な子供”であったカポーティの、優しい想い出のこの物語は、泣きたくなるような美しさに満ちている。 幼い頃、ブリキの缶に集めたガラス玉のような、ささやかな美しさ。 掌の上、光りを遊ばせる輝き。そっと息をひそめ見守る。 だが、ふっと目を逸らした一瞬の隙に、それはコロコロと掌から転げ落ちていく。 想い出って、いつもそんなもの。 不安定であるからこそ、優しく美しく脳裏に刻み込まれるのかもしれない。 とは言え、カポーティ、ただ甘い想い出に浸るだけではない。 現実と乖離する事の孤独、現実を引き受ける苦悩、いずれも描く。 『遠い…』が前者の道への辿りを描いているとするならば、『竪琴』は前者から後者への“閉じた円の間の跳躍”を降り返った物語だと感じる。 “閉じた円”とは、作中で語られるコリンの人生観。 「過去と未来は一つの螺旋形」であるはずなのに、コリン=カポーティにとっては「人生とは、閉じた円。つまり環の羅列」なのだ。 緩やかに続くものならば、それと意識せずに通り過ぎてしまうかもしれない光景も、全て鮮やかに刻み込まれる。 もう戻れない場所として。 現実から浮遊した樹上の家で見る夢は、美しい。 だが、その夢が美しければ美しいほど、残された現実を生きねばならぬ者の苦さは深まる。 コリンも、“跳躍”してはじめて、その苦さに共感出来る者となれた。 夢と共にあった少年の瞳は、一挙に老境に達したような眼差しに跳躍する。 苦さを知り、過去の夢の美しさを振り返るのは、年齢に関係なく老いたる魂を持つ者のする事。 だからこそ、この本は、こんなにも優しく哀しいのかもしれない。 草原のインディアン草は風に奏でられ、クリークがせせらぐ河の森にドリーの薬草が香る。 きっともう消えてしまっただろう風景が、ゆっくりと広がる。 心の奥に仕舞ったブリキ缶から、カラカラと音がする。 閉じた円を懐かしく思い出すひとときを、この本に寄り添ってみて欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月14日 02時07分19秒
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