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カテゴリ:読書
百器徒然袋-風 京極夏彦 講談社ノベルス
アラスジ:僕・本島は、しがない電気工事会社の図面引きである。平々凡々を絵に描いたような人間なのに、この所、妙な事件に巻き込まれてばかりいる。“あの人”と知り合ってから。招き猫に振り回される母娘の「五徳猫事件」、僕自身が殺人犯に仕立て上げそうになった「雲外鏡事件」、そして、奇妙な面が発端となり、こそ泥の真似事までさせられた「面霊気事件」。中野の古本屋主によれば、全てあの人と係わり続けている僕が悪いらしい。あの人-薔薇十字探偵こと榎木津礼二郎に関わるものは、皆、「物凄い勢いで馬鹿に」なるのだと。あぁ…確かに、僕は馬鹿になっているのかもしれない。 京極堂シリーズの番外編、傍若無人な神である榎木津礼二郎が快刀乱麻の暴走をする、薔薇十字探偵シリーズ第二弾。 あぁ、また間が空いてしまった。 いやぁ、一旦怠け出すとずるずるっと行っちゃいますね、ブログって。 無理して書くもんでもないですし。 読書や鑑賞関係も滞ってるなぁ。 ぼやぼやし続ける毎日、無為な時間が過ぎるのって早い。 こんな人間は、榎さんにかかったら「下僕の価値もない!」と斬って捨てられそ。 で、そんな日々の中、ごろんと横になって伸びをしたら、上から降ってきたのがこの本。 …痛い。痛いっす。 京極堂の本は、充分凶器になります。(涙) この本、一読したきりだったので、「ちゃんと読め!」とのご神託だったのでしょう。 でもデコに当たる事は…痛いってば。 ま、鉄鼠だのが降ってくるより、まだましですが。 京極の本で、一番重量級のってどれだろう? ざっと見て、鉄鼠・絡新婦あたりが一番分厚い感じ。 豆腐小僧もなかなかな重みだし。 物理的な理由で肩凝りになる本だわw 寝っころがって読むのにも不向き。支えられません。(いや、そんな姿勢で読むのが悪い) と言いつつ、分厚ければ分厚いほど嬉しいのが、京極ファンなんですけどね。 この百器シリーズは、中編でもあり、本編に比べるとより一層ラノベ感が強く、サクサクと読み易い。 本編のこれでもかな薀蓄は多少控えめで、その分、下僕の悲哀の方に文章が割かれていますw 榎木津の天晴れなまでの神っぷりより、語り手の本島の愚痴めいた語りの方が多いので、爽快感はイマイチかな。 破壊力は第一弾の「雨」の方が上だと思う。 それよりもなによりも、やはり京極の愉しみは薀蓄なんだよなぁと、改めて痛感。 このシリーズでも興味深い話はされているものの、なんとなく消化不良な感じ。 本編で語られるような、ズズーンと重く大きな文化的謎解きが欲しい。 と言いつつ、基礎的な素養がないので、完全には理解しきれていないのが実情ですが。 でも、その訳判らんちんな薀蓄が好きなんだよなぁ。 緩やかに連動している3作品のうちでは、最初の五徳猫が面白かった。 招き猫は身近なものだし、理解し易い。 間の雲外鏡は、ちと凡庸な気もした。 〆の面霊気、これはもう、笑うしかない。うははは、にゃんこ! 映画は見ていないのだが、脳内で、阿部ちゃんが招き猫を持って暴走している姿を想像したら死にそうになりましたw 「榎木津に関わると、物凄い勢いで馬鹿になる」と、京極堂に語らせる。 何の付加価値もつけずに相手を映し出す榎木津は、まさに鏡。 ありのままの自分の姿を突きつけられると、人間は…そりゃ、自分が馬鹿に見えてきてしまうわなぁ。 端から自己を逸脱した存在だと認識している薔薇十字探偵一味はいざしらず、虚飾を配した自分を突きつけられ、平穏でいられる人間はそうは多くないだろう。 と同時に、心のどこかで“物凄い勢いで馬鹿になりたい”とも思っていたり。 「自分」と言う虚飾の仮面は、気がつかないうちに重くなっているもの。 榎さんの前で引っぺがされるのは、恐ろしく疲れる行為だけれど、そのどこかには爽快感もあるんだろうな。 だから、本島も、巻き込まれたことに文句をたれつつも、居つく。 そして、読者もウムムと首を傾げつつ、読み続けるっと。 ラスト、ちょっとしたオチあり。 よかったなぁ、本島文左衛門ゴンザレス五十三次。 すこーしだけ報われてw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月30日 02時20分43秒
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