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カテゴリ:ベトナム、カンボジア、タイ
もはやどちらが現実の世界かわからないほどに旅を重ね、生温かい風に慣れ親しみ、脳みそを溶かし、思考能力を著しく低下させるあのするどく、うだるような暑さから離れ、ピーンと張りつめた冷たい風に、鋭く目を刺激する文字の洪水、人の波、情報の流れに再び身をまかせる現実へと戻って来た。
3週間の旅。 何か新しいものを発見する、知らない土地を見聞する、 冒険するという旅人としてはあまりにも旅を重ねすぎ、その土地に慣れ親しみすぎて、今回の旅行はどうでしたか?という単純な質問に答えるのにはあまりにもすれすぎている。 旅が現実になりつつあり、当たり前のことになりつつあり、 空気になり、肉になり骨になりつつあるものにとって、こういう質問は酷である。 一番困る質問。 それでも今回の旅を振り返ってみると、一番しっくりくる言葉は 原点というところであろうか。 過保護というオブラートに包まれ、見えない優しい絹のようなフィルターに包まれた世界から、いきなり野生の血肉の香り漂う、原野へと入って行く、 満月の夜に狼にゆっくり変身していく狼男のように少しずつ、野生に帰っていくあの感覚の心地良さ 気がつくと僕はそこの空気と一体化し、もはやどこの国の人間ともわからぬ 異臭を放ちそこに存在している、誰も僕を認知することはできないし、 呼びとめることも、何者かを疑うこともできない。 野菜は野菜の本来の味がする、土の味がし、太陽の味がする 魚は魚の味がする、川を泳ぎまわり、大海原を漂い大きな流れの中に あり必死に生き、生命を全うした味がする。 肉は肉のしっかりとした味がする。 大地をしっかりと踏みしめ、疾走し、息をし、考え、 朽ち果てる味がする。 力強く、それでいて素朴で、その土地の野生の味がする 人間が食べやすいようにへたに品種改良されたり、いつでも食べられるように温室でぬくぬくと育てられたり きれいに形がそろえられたりしたものではなく、 それぞれ個性があり、形も色も大きさも重さも違い 自分でしっかり選ばないと味すら違う。 一口で言うとそういう旅、生の人々の生活を見て、体験し その一部にできるだけ近づこうともがく旅 一見すると、客観的に自分でみても面白くない旅だと思うが、 そういう旅しかもうできないし、そういう旅があと後から味が出て来て 面白くなり、思い出になり、自分の血肉にもっともなっていくのだと最近よくよくそう思う。 もし、そういう旅の話しでよかったら これからこの3週間であった出来事を少しづつ語っていこうと思います。 いかがでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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