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カテゴリ:イタリア
ベネチアユースの朝は歓迎されないところからはじまる。
ユースのスタッフにおはようと言っても無視、朝食を配ってくれるおばちゃんにありがとうと言っても、にらまれ、はい次!と言われる。 朝食はパン一個にジャム、飲み物だけ、イタリア以外の国が食べ放題だったのに比べると相当寂しい。 朝霧の中船に乗り、列車駅へ今日はパトヴァとヴェローナに行くことにした。 パトバはこじんまりとした街だが中心街を離れると古い街並みが広がっていて落ち着いた雰囲気をかもしだす。朝わりと早い時間だったので人通りがほとんどなく、静かな中世の面影が残る街並みを静かに歩いた。 自分の恰好やたまにすれ違う人々の恰好をみなければ、そこはどの時代に自分がいるのかわからないくらいの空気が流れていて、ふと馬車や中世の人々の話声が聞こえるような錯覚がおきる。 特にこれといった観光的目玉はないのだが、このデジャビュにも似た不思議な居心地の良さを感じゆっくりと街をブラブラと歩いた。 ふと目にとまった小さな教会の中へ入ってみると、中はうす暗く目が暗さになれるまでに少し時間がかかったが、何かの像の前で女性が一人ひざまづいて必死に祈りをささげていた。 「これが教会なのか」 教会というといままで見てきた観光名所的教会を思ってしまい、観光客があふれ何だかあまりありがたみがないという印象だったが、本来は日常的救済の場でもあり、神秘的な空気が満ちた聖なる場所なのであった。 彼女が祈るのを遠くで見つめながら、そのひんやりとして静まりかえった空間に 神というものが存在するのではないかという感覚が不思議とあり、祈るという人々の感情が理解できる気がした。 祈りをささげていた女性が去り僕はその空間に一人残された。 女性は像の前で何をみていたのか気になり、同じように像の前で祈りのまねごとをしてみた。 その不思議な感覚を言葉で表すことはすごく難しい種類のものだが、自分のうちなる声や、人々の思いとりわけこの像の前で祈っていた人の気持ちが自分にも感じることができたような感覚だった。 教会の外に出ても宙を浮いてるような感覚で下界の世界にしばらくなじめなかった。 どうやってパトヴァの鉄道駅まで戻ったのか全然覚えていなかった。 ヴェローナはわりと人が多く観光客も多かった。 誰もが夏のすがすがしい日々を祝福しているかのように、歩きまわり、疲れたら 屋外に席がつらなるカフェで心地よい陽気、風に体をあずけながらゆっくりと過ごす。 ジェラートのお店やピザのお店が並び、イタリアの国旗をイメージした色があふれる。 ヴェローナーヴェネチア間の列車の本数が少なくもう帰る時間になってしまったので ヴェローナはあまり見る時間がないままヴェネチアに戻ることになった。 ヴェネチアに戻り、またいつものベネチア人風町歩きを楽しみ、ユースに戻った。 夕食を食べていると昨日話した早稲田の学生さんが話しかけてきて、気がついたら いろいろな日本人が集まり、みんなで街に出てみようということになった。 もう夜10時過ぎだったのでさすがに夏のイタリアでも日は沈み、闇の中のベネチアの街を散策した。 夜景がきれいで夜のベネチアもロマンチックでまた違った世界をみせてくれた。 どこからともなくバイオリンの演奏が聞こえ、人もわりと歩いている。 ベネチアの街自体が夜の舞踏会をやっている大きな劇場のような美しさを夜の闇の中でかもしだしていた。 自分もその舞踏会に参加している夢見心地を味わいながらベネチアの夜はふけていった。 そしてふとその夢は現実に変わり、12時を過ぎたシンデレラのような現実に直面した。 「最終の船がもう出てしまうらしいから急ごう!」どうやら終電のように終船もあるらしく、あわてて船着き場に急いだ。 何とか間に合い、ユースに着いたのはもう1時近く、当然のようにユースホステルの門は閉められていて、ベルを鳴らして人が出てきたが、冷たく一言「もう閉まってる時間だから外で寝ろ」 最後の最後までつめたいユースだった。 何とかみんなで必死に説得し、半ばあきらめと、こいつらをさっさといれてしまった方が私は早く寝れそうだと思ったらしく、しぶしぶ門をあけてくれ何とかベットで寝ることができた。 やれやれ。 こうしてベネチア最後の夜があけていった。 明日はイタリア最後の日、そしてこの旅最後の日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.24 14:04:25
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