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カテゴリ:セブ島
セブ行きの船はなかなかハードだった。
例のごとく、二段ベットがずらーと並んでいるのだが、その席をとれない人用にこの船はプラスチックの固い椅子が用意されていた。 僕はその席も確保することができずに、誰か来るかもしれないが、人がいなそうな席に腰かけた。 運よく人は来なかったが、その席で寝るのはなかなか至難の業で10代や20代前半に旅行していた時とは違い、最近では日本風に体があまやかされてしまったので、寝つくことができなかった。 少し寝不足な僕にもやはりセブは優しく、陽気だった。 真っ先に、かつてインストラクターになるために様々なことを学んだ学び舎、その後も何度も通い、お世話になっているダイビングショップへ。 明日からの仕事の打ち合わせを師匠とかわし、いつものように、もう11年も付き合いがあるスタッフ達と何気ないことをだべる。 ホテルに入っているダイビングショップなのだが、ここのホテルもあまり変わっていなく、 昔からいるスタッフも多いので、敷地内を歩けばいろいろな人が話しかけてくる。 昔の話やら最近の話やら、少し歩いただけでここ数年の大きなことからごく小さなことまですべての情報が手に入る こいつは日本人でヴィサヤ語が話せて、こんな小さな時から知ってるんだぞ。(18歳だったからそこまで小さくはないのだが) と新しく入ったスタッフなどみんな紹介してくれる。 こんなやり取りが、このホテル内だけでなく、どこの道を歩いていても繰り広げられ 結果、ものすごい数の人々が僕に話しかけてくる。 よく知ってる人、まあまま知っている人、少ししか知らない人、覚えていない人 まったく見おぼえがないが、向こうは僕のことをどこからか聞いてる人など ちょっとした有名人になった気分なのだが、これに慣れてしまうと東京の生活が何とも寂しく味気のないものに思えてしまう。 毎日通ったこのホテル、海、風、匂い、空気、人々 すべてが懐かしく、僕の血となり肉となり生き続けている、 何気ないこの感覚。 海を眺めていても、海の方向から声をかけられる。 彼らは眼が相当良いのだ。 ずっと一緒に働いたボートマン達。 時には言い合いや殴り合いのケンカもしたことがある、観光客相手に商売をしているチンピラまがいな物売り達。 みんなふけたなー、僕もふけたのか? いつも金貸してくれとせびられるのだが、今日はお客さんがいたらしく、珍しく コーラなど奢ってくれる。 ありがたく頂戴した。 みんないいやつらだけど、生活がかかっているから大変なんだ。 生活臭がもろに溢れているセブが好きだ。 貧乏だけどみんな必死に生きていて、いつも笑いを忘れないセブが好きだ。 明日から仕事で、10日間はすごく忙しくなってしまうので ゆっくりブラブラ歩きながら、懐かしい人々に会い、ダベリ、またブラブラ歩くことにする。 見た目はちょっとグロテスクだけど、この鳥の丸焼き 香草が内臓に詰められて炭火でじっくりと焼いているので、意外とさっぱりしていて 肉も驚くべきほど柔らかくなかなかおいしい。 その下で焼いている豚の腹肉もおいしそうだ。 マンゴー、パイナップル、マンゴスチン、バナナ どれも日本よりも甘みが凝縮されていて、それでいて甘すぎず上品な甘さで おいしい。 最近物価が上がってしまったようだが、それでもマンゴー1キロ150円。 日本の何千円、何万円するマンゴーよりもおいしいと思う。 果物を売っている人が自分の赤ちゃんまで連れてきて、何気なくポーズまできめている。 最近この近くに韓国資本の大きなホテルができてしまい、その韓国人目当てのお土産売りの子供たちが急にこのあたりに現れた。 韓国人に邪険に扱われ、無視され続けるのだが、子供達も負けずにハングル語で物を売り付けに行く。そして何故だか笑顔を忘れない。 驚くことに僕が日本人だとわかったのか、日本語でも話しかけて来る。 なかなかたくましい。 僕がヴィサヤ語で返すとよっぽどそれに驚いたのか、嬉しかったのか。 次から次へとものすごい勢いで質問が飛んできて、物売りの子供たちがそれにつられて次から次へと増えて来る。 ただまったく物を売ろうとしているのではなく、ただついてきて、質問し、質問し楽しんでいる。 10人以上の子供達に囲まれて、手を握られて、笑いかけられて、名前を次から次へ呼ばれ、ホテルに戻る時もそこまでみんなで送ってくれて この陽気さはどこから来るのかなと、こちらが元気や勇気をもらい嬉しくなった。 カンボジアやベトナムなどでは、売り子の子達があまりにも必死で、悲痛な顔をうかべながら物を売っているのをショックに思った。 売れなくても、貧しくてもその日、その時を楽しんで生きていく。 フィリピンにはやはり人生を楽しみ肯定していく力が子供の時から身についているようだ。 バイバ―イ、またねー すぐ横をお客さんであるはずの韓国人がすれ違うのもかまわずに、みんな大声で満面の笑顔を向けて、売り物のブレスレットやネックレスが壊れちゃうよ―とこっちが心配するぐらい、体全体を動かして見送ってくれた。 これだからフィリピンはやめられない。 今が楽しければ良いではないか、明日なんて来ないかもしれない 今がお腹いっぱいで周りの人達も満足していればそれで良いではないか 明日は今の延長線でしか過ぎなく、今が楽しければきっと明日も楽しくなる。さらにその先のどうなるか誰にもわからない将来のことを気にして 悩んで考えているよりも、今を必死に生き、楽しむ方が確実なのかもしれない。 現地の言葉ビサヤ語には未来形や過去形が存在しない。 (そういう言語はけっこう多いし、そういう考え方の国もけっこう多い) 現在形に明日や昨日、去年などの単語をくっつけるとそれが過去なのか未来のことを言っているのかがわかる。 そういう生き方も大いにありだと思う。 過去や未来など現在の先か後かでしか過ぎないのかもしれない。 必死に手をふり、バイバイと叫び満面の笑顔で見送ってくれる子供達に 勇気をもらった。 何度も何度も振り返り必死に手を振りかえす。 今の自分よバイバイ、また次の自分へ笑顔を送る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.06.02 14:10:44
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