2011年、秋がだんだん深まっていく東京。
朝晩は涼しくなって、過ぎ去っていく夏はどこか哀しく
秋の夜は日に日に寂しくなっていく。
そのような季節の変わり目をまったく無視するような東京の喧騒
毎日毎日変わりなく人があふれ、どこに行くともどこに進むともわからず
行きかう無数の顔なき人々とのすれ違い。
ものすごいスピードでめまぐるしく
人間の作った社会と言う枠組みの中で変化を繰り返しいろいろなものを
飲み込み、また吐き出し大きな不気味な化け物のように膨らんでいく
大都会東京。
ふと読んだ手塚治のマンガ「ブッタ」の言葉が僕の胸に響いた。
主に仕事のことに対してとのことだが
今自分は何をしているのか
自分のしていることは自分にとって大事なことなのか
人にとって大事なことなのか
そして大勢の人にとって大事なことなのか
国中の人にとって大事なことなのか
世界の人にとって大事なことなのか
この自然にとってあらゆる生き物にとって大事なことなのか
よく考えなさい。
そして、もしそうでないと思ったらやめるがよい
なぜならこの世のものはみんなひとつにつながっているからだよ
僕は今東京でやっていることが世界の人や自然、あらゆる生き物にとって大事なこと
だとは思えない。
ただ、僕はその矛盾をいつかなくすべく、自分自身に嘘をつかないためにも
世界の人や自然やあらゆる生き物にも嘘をつかないためにも
みんなが集まれる場所を作ろうと思っている。
楽園を作ろうと計画している
そのために僕はその視察旅行に前回のGW同様出かけて行った。
その場所に辿りつく、探しだす、結果を残すことだけが目的ではなく
その道中もまたとても大切で、そこに行きつくまでにいろいろなことを考え
いろいろな話を聞き、いろいろなものを見
そしてまた新たによりよい方向に進化していく。
そんな視察旅行、楽園を作りだす計画をより考える旅に夏出かけた。
今のところ僕の目指す楽園は
世界中の人々、国籍、年齢、宗教、肌の色、人種、性別、言語、物の考え方など
関係なく、すべて人それぞれ違うことを尊重して一人一人になり
そこに存在していろいろ語り合える場所。
もちろん動物、昆虫、植物すべて自然を尊重し共に楽しめ生きれる場所。
人間が作りだした物質社会、経済社会、見えるものしか見ず、人間の頭で考えた世界しか
信じず、その中だけでしか生きられないと思い込む
人間社会がすべてだと思い、メディアに踊らされ自分の本当の目や五感で物事をとらえることができなくなってくる
ただそれらが行く着く方向がだんだん人々にもわかってきて、おかしいと気づきはじめている。
より良く生きよう、本当の自分を見つけよう、幸せを見つけよう、
何だかおかしいぞと行動する人が増えている
そんな一人一人がそれぞれの頭や心で考え、より良い自分の人生を見つけていける語り合える場。 本当の意味でのディスカッションができる場。
本当の自分自身をみつめられる場。
長い人生の休憩の場として次のステップへの活力をみいだせる、充電できる場。
それでいいんだよ、自分自身でいいんだよ、自然にまかせて
自分自身を好きになってあげる場。
本当に大切なもの、自分にとっての幸せとは何かを考え、体験できる場。
そういう人達がいろいろ考え同じ場を共有して
何もないけど、海があり自然があり、心地よい風が吹き、
貧しくても陽気にシンプルに幸せに生きている
フィリピンの人々と交流しながら自然と笑顔になれる。
人それぞれが下手でも何かしら得意なものことやできる能力は持っていて
そういうのをお互いに尊重し合い、できることをやっていき
通貨という形の交換ではなく、お互いの能力や技術という形での交換をする。
もっと広い意味での世界を見つめ、自然に学び
新たな世界へ飛び出して行く。
そういう空間を僕は作りたい
そういうことをやるのに最適な空間、一人ではできないので共感できる人々
システム、資金作りその方法などを視察しより良いアイディアはないかを日々模索しているところです。
僕は綿密な計画や考えも持っていますが、どこか楽天的というか何とかなる
本当に望んでいれば必ずかなうし、自然と思い通りの道に導かれていくと経験からも思ってしまうので、まずは自分がピンとくる場所を探しに行こう、
同じようなことをやっている人に会ってみようと旅ははじまったわけです。
人から人へ、海から海へ楽園を探す旅ははじまる。