カテゴリ:義母の死
昨年11月時点で、余命4か月から1年と宣告されていた
義母だったが、結局宣告から3か月、 抗がん剤を打ってからわずか3週間で 帰らぬ人となった。 義母の直接の死因は、 腎臓の機能低下ということのようだが、 家族の誰もが感じていたのは、 「抗がん剤を打ったことで 全身の器官にダメージを与えた」 ということ。 抗がん剤を打つ前は比較的元気で 普通の生活が送れていたのに、 打ってから数日間、一日に何度も呼吸困難が起き、 そのまま呼吸が止まって死ぬんじゃないか というような目にあったり、下血も始まった。 最後のほうは鼻からも血が出ていたようで、 一体、どこまでが抗がん剤によるダメージで (食事が取れないことによる衰弱も含め)、 どこまでが肺がんやその転移によるものだったのかは つばめには分からないが、 「もし抗がん剤を使わなかったら、 もう少しは小康状態を保っていられたのではないか」 という思いは、家族のだれもが 口には出さないが心に持っているのではないかと思う。 しかし、翻って考えてみると、 がんの末期症状で、ものすごい痛みや苦しみに 対峙しなければならなくなるよりかは、 このほうが、義母にとってよかったのかもしれない。 今となってはもう、何を言っても意味をなさないけど、 これでよかったのだと信じることだけが 家族の心のなぐさめである。 ただ、思っていたよりも義母の死が早かったこと、 そして、義母がどんなにやつれていても、 「これは抗がん剤の副作用なのだ、 これを乗り越えればまた回復していくのだ。」 と根拠のない楽観さを持っていたつばめ (たぶん他の家族も)には、 いろいろな後悔だけが苦く心に残っている。 なぜ毎日ベッドルームに入っていって 義母と話をしたり、マッサージをしてあげたり しなかったのか。 なぜ義母に直接、食事を食べさせてあげなかったのか。 なぜ温かいうちに、あの白い手を握らなかったのか。。。 「おかあさん、大好き」とか、 「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とか、 義母に話したいことはたくさんあった気がするのに、 抗がん剤を打って以来、 ほとんど義母と接することがないまま、 義母は逝ってしまった。 義父、義母の妹二人に夫と、 肉親がこれだけ多くお義母さんのお世話をする中、 つばめには何か遠慮があって、 自分で勝手に義母の部屋に入っていって、 お母さんに食べ物をあげるとか、 話をしにいくとかいうのが、 なんとなくはばられたのだ。つい、 「お義母さん疲れないかな、 つばめの顔見るより休みたいんじゃないかな」 とか、 「お義母さんは、つばめよりも、義父や 実妹さんたちにお世話されるほうがいいに違いない」 とか思えて遠慮がちになり、 確かに義母はそれでよかったかもしれないが、 つばめ自身の義母を思う気持ちは満たされぬまま、 最後の死に目にも会えず、義母は逝ってしまった。 今、義母の姿を思い出す時、 心に広がるのは、ただ温かさのみ。 いつも家にいて、おいしい料理を作って 笑顔で家族を迎えてくれた 母のぬくもり、温かさ。 失ってはじめて、そういったものの ありがたさというのを、 しみじみと感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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