6年間、義母の料理を食べてきた意味
つばめが昼食に特に炒め物や肉料理を作らなくても、冷蔵庫には、ほとんど毎日、前日の晩の炒め物や肉料理の残りが入っている。だから、主食とスープor粥を考えるだけで、昼食の形は、ほぼ整う。といっても、今まで義母の料理を食べるばかりで、全く料理をしてこなかったつばめが、簡単なものとはいえ、昼食のメニューを考え、それらしきものを作ったりできるのは、ひとえに6年間義母の料理を食べてきた年月の賜物である。義父はすぐ、「お前作ったことあるのか」というが、作ったことはなくても、どういうものなのかというのは、舌がだいたい覚えている。義父がいう「かぼちゃのガーダスープ」というのがどんな形状でどんな味なのか、「緑豆麺が入ったスープ」といったら、「ああ、白菜の細切りと緑豆と雑穀で作った麺を入れて うすい塩味をつけた、あのスープだな」と、すぐ分かるのである。そしてどんなものを作りたいのかさえ分かれば、今はネットで何でも調べられる時代だし、自分が食べたことのある味に近づこうと色々調べたり、何度も試行錯誤しているうちに、だんだんそれなりのものもできるようになってくる。他の家庭では同じ名前のスープでも、作り方や味が全然違ったりするので、それぞれの家庭には、それぞれの食文化ともいえるものがあるのだなぁ、と改めて気づいた次第。(我が家のスープは、主に白菜とほうれん草、 かぼちゃの3種類。時々小白菜や冬瓜も。 全て先に油で軽く具を炒めて塩・醤油で味付けした後に 水を入れて、最後に再び味を調えて出来上がり。)6年間義母の作る料理を食べてきた意味、義母の遺した遺産をいつのまにか受け継いでいる自分を改めて発見しているこの頃のつばめである。(しかし義父は、6年どころか、 何十年も義母の料理を食べてきたのに、 献立が全く思いつかないのはなぜなのだろう。。。)