カテゴリ:中国発見・気づき
北京学術交流会でぜんじろうさんの日中欧米の笑いの比較論を聞き、
また帰宅して夫に中国の笑いについて聞いたつばめ、 なぜ日本と中国の笑いは違うのだろうかということについて 想像をめぐらせはじめました。 中国は広大な国土を持ち、周辺諸国とも陸続きで、 また56もの民族が混在する中で生きてきた 人々を取り巻く環境は、 日本と比べてずっと複雑なものであっただろうと 想像します。諸外国に侵攻し、 また諸外国に侵略された歴史もあり、 内戦もありました。 日本は、周りを海に囲まれた小さな島国で、 民族も比較的単一であり、 そこで暮らす人々の環境の複雑さの程度は 中国と比べると低かったのでは ないかと思われます。 さらに、日本は武士道の影響か、 「まっすぐがいさぎよい」とされ、 正々堂々と勝負し、いざとなれば切腹するのが 美しい生き方とされるような美学があるような気がしますが、 中国のような国情で、正面からぶつかって ダメだったらいちいち切腹していたら、 命がいくつあっても足りません。 それゆえに、人々は複雑な社会を生き抜くために、 正面からぶつかる前に 必死で頭をひねり、あらゆる策略を 練る必要があったのではないでしょうか。 さらに、共産党一党独裁が続き、 言論の自由が制限される中で、 なんとか知恵をしぼって、 自己に矛先が向かない形で、笑いに持って行きつつ 言いたいことを表現するというような状況が あったのではないかと想像しています。 また、笑いにでもしないとやってられないほど、 人々はシビアな環境に置かれていたのではないか とも思います。 振り返って考えると、 ハゲをハゲと言って笑うというのも 日々のストレス解消には必要なのかもしれませんが、 それはとても単純で、直接的、感覚的な笑い といえるかもしれません。 言いたい主張があって、それを裏返して言うとか、 場を和ませてビジネス交渉をスムーズに持っていこうというような、 何らかの目的がある笑いではありません。 (もちろん芸人さんは、笑いに持って行くための 流れ、リズム、演技などを真剣に考えているはずですが、 受け手のほうとしては皮肉やひねりのない素直な笑いということ) 日本の笑いが比較的単純であるのだとすれば、 それは、日本社会が長期にわたって比較的平和で、 そこまで過酷な社会環境にはなかったということと 関係があるのではないかと私は思っています。 暖かで食べ物もいっぱいある南国の平和な島の笑いは、 割と単純なのでは? 皮肉めいたひねりの入った笑いというのは 社会の複雑性を表しているように 私には思えてなりません。 つづく。 ぜんじろうさんの講演は、予定を1時間以上オーバーする大盛況。 夫が電話で、子供たちはつばめが帰るまで寝ないと言っている というので、大急ぎで帰ってみると、 ふたり目ちゃんはママのパジャマを抱いて泣きながら眠ってました。 小学校になっても、まだまだママが必要なんだな~、と 思い知らされた次第。ごめんね。 IMG_6906 posted by (C)つばめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/12/21 01:06:38 AM
コメント(0) | コメントを書く
[中国発見・気づき] カテゴリの最新記事
|
|