カテゴリ:仕事・日本語教育
去る4月22日、北京日本人学術交流会に参加しました。
テーマは、 「植民地における日本語教育を考える――台湾、満州を中心に」 報告者は学術交流会責任者のYさん。 その日はもともと別の用事があったのですが、 テーマを見て、遅れてでも絶対に参加したいと思い、 頑張って宿題!?にも取り組みました。 それは、「植民地主義と日本語教育」について どのように考えているかをA4用紙1枚にまとめて 持参できる人は持参するというものでした。 恥ずかしながらつばめ、 日本語教師になって日は浅くはないですが、 植民地主義と日本語教育について 深く考えたことはありませんでした。 でもとにかく、今の自分が植民地主義と日本語教育について どのように考えているかを書いてみようと思い、 頭をひねって書いたのがこんな文章でした。 **************************************************** 私はいわゆる「植民地」で行われた教育は、 外国人に対して行われる「日本語教育」ではなく、 日本の国民に対して行われる「国語教育」で あったのではないかと思います。 私は日中ハーフのわが子を日本人学校に通わせるか、 中国の現地校に通わせるかを考えた時、 子供は中国の教育を受ければ中国語が最も得意な言語となり、 中国的な思考回路や行動形式を身に着けた人間になるだろう、 日本の教育を受ければ日本語が最も得意な言語となり、 日本的な思考回路や行動形式を身に着けた人間になるだろう ということに思い至りました。 教育というのは、文字の読み書き、話し言葉のみにとどまらず、 その人の文化・思想、ひいては人格形成にまで影響を及ぼす その人の根源的な部分を占めるものです。 日本の国語教育を受けた植民地の子供たちが どのように感じた(感じている)かは別として、 植民地となった国の立場から考えると、 国民に対して日本の「国語教育」を強要されるということは、 国の最も根源的な部分を侵略されたということに ほかならないと思います。 「国語教育」というのは、日本の国民に対する教育であり、 植民地の子供たちに日本の国語教育を行うというのは、 「お前は日本国民だ」とか「日本人になれ」と 言っているのと同じだと考えます。 国語教育は日本人を作る教育だとも捉えられるでしょう。 日本語教師をする中で、言葉を学ぶ(教える)というのは、 言葉とともにその思想や文化を学ぶ(教える)ことでもある と感じています。 ただ、学生がそれを望んでいないのに、 日本的な文化や考え方を押し付ける、強要する、 あるいは学生の持つ文化や考え方を否定するというようなことは してはならないことだと思います。 あくまで学生の持つ文化・思想・考え方を尊重しつつ、 日本人はこういう物の考え方をして、 だからこのような言語表現をするのだというようなことを 提示していく、という姿勢が求められるのかな、 と思っています。 ある外国語を身につけるということは、 自分の母語以外にもう一つの言葉を身に着けるというだけでなく、 二つの価値観・物の考え方・文化を身につける ということだと思います。 それは自分の母国語・母文化を失うことではなく、 もう一つの物の捉え方や世界観を獲得するということであり、 植民地における日本の国語教育とは一線を画するものだと 考えます。 戦前の植民地で行われた日本の「国語教育」と、 戦後の外国人のための「日本語教育」に 連続している部分があるのか、あるいは 全く違ったものであるのかということについて、 今回の勉強会で詳しく学びたいと思っています。 **************************************************** つづく。 ↓小学校の防災訓練 小学校の防災訓練 posted by (C)つばめ 小学校の防災訓練2 posted by (C)つばめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/05/25 04:45:45 PM
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