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テーマ:夢を叶える人になる(1189)
カテゴリ:mental
「ロス」という言葉は、おそらく「ペットロス症候群」というトピから浸透したものと思われます。
大切にしていたものを失った時の喪失感。 これに苦しむことを差すわけですが、「ペットロス」と「あまロス」を同じロスという土俵で語るなかれという論調もあります。 もちろん大切な命とテレビドラマを一緒にするなという気持ちもよくわかります。 しかしわたしは、失ったものに対して、どれだけ情熱をかたむけていたかがすべてだと思うのです。 ですから、ペットであってもあまちゃんであっても、問題はその人の心に芽生えた空虚さ。 これに尽きるのではないでしょうか。 とまあ、この前置きはなんだかもったいつけたようで、何だかなあという感じなのですが、実は今、わたしも軽いロス症候群のなかで、あっぷあっぷしているのです^_^; 実は昨日、心から敬愛する方に無事お会いできて、その方へ伝えたかった自分の思いもちゃんと伝えられて、しかも快く受けとめていただけたという、夢のような時間を過ごしてきたのです! はっきり言って、この1年は、昨日のその一瞬だけのために生きていたと言っても、過言ではないのです。 そのために、ああ。 どれだけのことをしてきただろう…… なんて。 それだけに、やはりロス症候群はやってきてしまいました。 今朝目覚めたとき、これまで心のよりどころとなっていた、「会える予定」が消え失せたことに、愕然としたのです。 あんなに至福のときを過ごしたのに、一夜明けたら待っていたのは淋しさでした。 朝、ベッドの中で、その淋しさと対峙したとき、軽い絶望感を覚えました。 ありていに言えば、「今日からどうやって生きていこう」 大げさじゃなく、そこまで思えてしまいました。 涙があふれてきたそのときです。 ピカっと、その涙をとめるひらめきが降りて来ました。 それは、「ロスに苦しむほど、そんなに夢中になれることがあって、よかったじゃない!」というライトな言葉。 しかし、確かにそうなのです。 こんなに毎日、楽しみで、その日のために自分をどうにか今よりマシにしようとがんばらずにはいられなかったこと。 そんな日々が自分に訪れたって、なんて豊かなギフトなのか! ロスとは、つらく悲しいけれど、あふれるような喜びがあってこそのロス。 そうなのです。 ロスがしんどいのは、実は表面的なことで、本当は命をスパークさせた充足への、ちょっとした副作用なのですね。 ロスよ、ありがとう。 喜びの中で生きられた実感に感謝します。 そして、ロスはやがて変態を遂げて、これからを生きる糧に、必ずなるものですから。 xxx お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年06月09日 21時27分07秒
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