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カテゴリ:mental
昨日、おかげさまでひとつ実年齢を更新できました。
すてきな誕生日メッセージもいただき、本当にうれしかったです。 ありがとうございました。 そう言えば思ったのですが、ある程度の年齢になってくると、誕生日というのは自分だけのものではなくて、母のものでもあるのですよね。 母もこの日、「お母さん」になった誕生日を迎えたのです。 それに気づいてから、わたしは母とともに、毎年ささやかな誕生会を開いています。 母とわたしは誕生日が10日違いなので、それもまた都合がよかったりするのですが^_^; 昨日、実年齢を更新して思ったことがありました。 それは、今の自分って、もしかしたら20歳のときよりずっと若いのではないかと。 もちろん、見た目や、内臓や血液、骨の話ではありません。 そんな大それたことは考えたこともありません(笑)。 あくまでも、そう。心の話です。 自分自身のメンタル面をさかのぼってみると、10代、20代の頃のほうが、余っ程老いていたように感じるのです。 勇気であるとか、腹がくくれること、傷つくことなど恐れないこと、有事のときには全力で物事に突進していくこと。 それを若さと表現するとしたら、10代、20代の頃の方が、はるかに老いておりました。 ただ、今のこの、ある意味「怖いもの知らず」となってしまったことを、おばん化ととらえる向きもありましょう。 恥知らずで図太くなったと。 しかし、仮にそうであったとしても、このエネルギーの高さを否定してはいけないと思います。 それはこの年齢まで命を与えていただいたことに対する冒涜のように感じます。 なぜこれほどまでに、心がパワフルになってしまったのか。 それはもう、経験値。これしかありません。 さんざん傷ついて、ひどい目にもあって、きたけれど、そのたびに立ち直れてきた。 この経験が、今のわたしを支えてくれている、宝となっているからです。 だから今のわたしががっくりと落ち込んでしまうのは、未経験の悲劇についてだけです。 そればかりははじめてのことゆえ、どうしてもとまどってしまいます。 しかし、どうすれば打破できるか、どこへ相談すれば解決できるか。 それくらいの知恵は浮かびます。 これも加齢経由で得た、経験値によるものなのですが。 こう考えてみると、本当に年をとることは、そう悪いことでもないと思えてきます。 もちろん、肌のハリだとか、ウエストの若さゆえのほっそりしたラインだとかは、もう戻ってはきません。 でも、そんなものはもう、軽々と手放していいのではないでしょうか。 それを捨てられた分、今自分が得ているもの。 加齢ゆえに得ているものは、それは潤沢にあるのですから。 年を取ることは、自由になれることだと、昨日気づきました。 若いころの方が、全然縛られちゃっているのです。 ああでなければ、こうでなければという、根拠のないものに。 責任をとれるチカラと、覚悟を決められるチカラ。 大人っていいですよね。どちらもあるのですから。 だから、どこまでも自由に愛して歩いていってOKなのです。 あと10年もすれば、幾多の困難もエンターテインメントくらいにとらえられるでしょうか? 命があることが、ひたすらにありがたい。 今年はやたら、お別れの知らせが多いので、余計にそう思えてならないのです。 xxx 昨年の誕生日に、メゾン・フローラル(わかる人はわかる、あの店です 笑)で買った愛しのパキラ。 今もこんなに元気に、日々癒しをくれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年09月18日 19時47分52秒
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