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テーマ:メンタルメンテナンス(15)
カテゴリ:mental
過日にアップした、「『おひとりさまビール』禁止令」。
本日、澤谷鑛先生のオフィシャルブログに掲載されました → クリックどうぞ! 大変うれしいです。励みになりました。 こちらもぜひ、ご覧ください。 では、今日の記事です。 とても好きな対象。 人、音楽、食べ物、お店、本などなど、たくさんあると思います。 好きなものが多ければ多いほど、よろこぶ機会が増えるので、日常はとても楽しくなります。 好きなものが多い人はしあわせです。 しかし、ここでちょっと考えてみたいこと。 その好きなものが、「あまりにも好きになり過ぎるもの」だと、それは少し問題なのです。 好きな思いが度を越してしまったそのときから、その好きなものは、自分を苦しめるものに変貌するからです。 好きになり過ぎてしまうと、それなしではいられなくなります。 これは依存のはじまり。 執着という、どうにも重たい気持ちを抱えることになります。 本来、好きという気持ちからは、軽やかなときめきや、物事への励み、しみじみと満ち足りた気分といった、心を盛り上げてくれるエネルギーが届けられるもの。 だからこそ、何かを好きになることはうれしくてありがたくてなりません。 好きなものとの間に、確かな信頼感も生まれて、人生が在ること、それ自体に感謝したくてたまらなくなるのです。 そこでチェックしたいのは、その好きなものが、仮になかったとしても今のままの自分でいられるかどうかということです。 それがなければ生きられない。 それがなければどうしたらいいかわからない。 ちらっとでもそんな気持ちがわいたとしたら、それは思いがトゥーマッチになっているサインです。 その、好きな対象が自分にとって本当に大切ならば、出来る限り思いをコントロールしたいもの。 実際、あまりにも好きになり過ぎるという行為は、その対象に対して、失礼なことでもあると思うのです。 我を忘れた思いというのは、少々乱暴な感情なので。 また、ひたすらに強烈な思いの中にひたっていると、その好きな対象の、奥深い美点に気づけないことも多々あるものです。 好きなものだから、しっかりと見て、観て、感じとりたい。 そんな思いがあれば、我をなくす羽目に陥ることもないような気がします。 心から好きだからこそ、溺れることは起きないのです。 xxx お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年11月01日 09時04分42秒
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