|
カテゴリ:神社仏閣
大徳寺の塔頭で この日特別公開していたお寺「総見院」
信長亡き後の政権争いの中 秀吉がその主導権を握るための建立した 織田信長公の菩提寺 本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されています 慶派の仏師 康清によって作られましたが 秀吉はこの「織田信長坐像」を見て「よし」と納得したそうです 本堂は撮影禁止のため 画像はありませんが 見てみたい方はこちらから 本能寺の変で 信長の遺骸が発見されなかったため 秀吉は信長の木像を2体造って 1体を火葬 1体を総見院の本堂に安置したのだそうです 総見院の中には 「寿安席」「龐庵」「香雲軒」という3つの茶室があります 歴史的にも有名な「北野大茶会」に先立つ 信長追悼茶会の「大徳寺大茶会」では 総見院方丈で秀吉が茶を立てた・・・との記録も残っているそうです 「寿安席(じゅあんせき)」は 大正の初めごろ 実業家であり趣味を茶道とした山口玄洞に寄進されました その襖に浮かぶ文様は豊臣家の家紋「五七桐」で 時が経つほどに より浮かび上がる技術なのだそうです その茶室と本堂を結ぶ回廊の途中 屋根の内側にあるのは「神輿」 総見院は 明治初年の廃仏毀釈によって堂塔伽藍や多くの宝物が失われましたが 「織田信長坐像」は本山へと遷され安置されることとなりました その後 大正年間に再興され 信長380年忌(1961年)に「織田信長坐像」をこの神輿で再び迎えたそうです 庭には 秀吉が利休から譲り受けたとされる 「胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)」があります 侘助は花が小さく 早春から咲き 総見院の木は 現存するこの品種で最も古い個体とされているとのこと (他にも同じように最古を主張する寺院もあるみたいですが…) 「織田信長一族供養塔」 信長の他にも 長男の信忠・次男の信雄・正室の濃姫など 信長一族のお墓が並んでいます 信長の墓所や廟所や供養塔など縁のある社寺は全国に二十数か所あるそうですが 正親町天皇の勅許を受けたこの墓は 信長の“オフィシャルなお墓”と言えるのだそうです 正門の土塀は 天正11年 秀吉が創建した当時そのままの姿です 土塀は「親子塀」と言われるもので 塀の内部に塀がもう一つ設けられた珍しい二重構造になっています この塀の内側に入って逃げることもできたそうです 赤く染まったドウダンツツジ こんなに綺麗な赤は初めて見ました やっぱり京都はモミジだけでなくほかの木々も きれいに色づくんですね 同じく 特別拝観をしていた「黄梅院」 臨済宗大徳寺派大本山 大徳寺の塔頭寺院で 永禄5年(1562) 当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に 父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まる 本能寺の変によって信長が急逝すると 羽柴(後の豊臣)秀吉がこれを徐々に増築し 天正17年(1589)に「黄梅院」とする(パンフレットより) 残念ながら 撮影ができるのはここまで 頂いたパンフレットを載せてみます 庫裡は日本に現存する禅宗寺院の庫裡として最古のものだったり 加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘 千利休が作庭した「直中庭(じきちゅうてい)」などの他にも 磨きこまれた柱や床が印象的な回廊は宮中を思わせるもので まるで別世界に迷い込んだと思うほど・・・ こちらの御朱印は 運よく御住職様がいらっしゃる時には その人にあったお言葉をサラサラと書いて お言葉と一緒に渡してもらえます 嫁いでから今までのことを褒めていただいたような気がして 思わず涙が・・・ 一緒に行った友人も違ったお言葉をいただいたんですが それがまた 彼女の今の状況にピッタリのお言葉で びっくり!! 御朱印帳の表紙に 私の名前まで入れていただいて 感激するやら感謝するやら・・・ 充実したひと時でした おまけの写真は 都路里カフェの季節限定「秋景色」 ほうじ茶・栗・バニラのアイスをベースに 紅茶ゼリー・きな粉クッキー・抹茶わらび餅が入ってます お値段もするけど ここのパフェが美味しいのは甘すぎないこと くどくないので さらっと食べられてしまう 特に栗のアイスは絶品でした!!
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年11月25日 22時10分29秒
コメント(0) | コメントを書く |