テーマ:暮らしを楽しむ(387396)
カテゴリ:国内ミニミニ観光旅行
いよいよ、土砂降り最高潮、傘も吹き飛ぶ暴風雨の中、 二日目の最後のお参り、 「熊野那智大社」です。 ここは、前日からガイドさんに脅されていた場所ですからね。 それに、すごい雨風が加わり、行く前からドキドキです。 真ん中付近に、真っ黒のポンチョ姿の人がいますけど、 傘を持っていないでしょ? 私も、透明カッパで、同じく傘なし。 だから、スマホで写真を撮るときは、雨でレンズが濡れてしまうの。 私のスマホは、一応防水なのだけど、レンズには水滴がつきますからね。 この石段は、476段だとガイドさんから説明されたので、 覚悟して上りました。 いやぁ、杖の先が滑らないかと心配しましたが、 それは大丈夫で、なんとか無事にたどり着きましたよ。 ここも、朱塗りで綺麗な建物でした。 ここでも、きちんとお参りした後、隣の「青岸渡寺」に行きました。 なぜ青岸渡寺(せいがんとじ)と言うかというと、 高野山の「青巌寺(せいがんじ)」から、たくさんのお坊さんがやって来て、 このお寺を建てることができたからなのだそうです。 信長の時代に、比叡山の焼き討ちがありましたけど、 高野山もまた、標的になったそうです。 しかし、本能寺の変があったため、攻略は中止。 その後、あとを継いだ秀吉が紀州攻めをしたけれど、 高野山のえらいお坊さんと秀吉が和議を結んだので、 今度は、秀吉が高野山を援助するようになったそうです。 それで、秀吉のお母さん大政所の菩提所として「剃髪寺」を建て、 のちに、これを青巌寺と改名しました。 この青巌寺では、あの秀吉の甥の秀次が切腹しています。 つまり、青巌寺というのは、今の金剛峯寺 (明治になってから改名)。 高野山の総本山です。 徳川幕府になってからも、高野山を菩提所と定められていたので、 それにならって、諸大名も、この高野山の奥の院の参道沿いに、 次々に、供養塔を建てるようになったのですね。 (気になったので、比叡山延暦寺の方を見てみたら、 焼き討ちの13年後に、秀吉から再建のためのお金が出ているみたい。 よかったねー。) これが、すぐお隣の、青岸渡寺。 こちらにも、ちゃんとお参りしましたよ。 でも、こういうのは、西洋の人とか、不思議でしょうね。 神様と仏様を、たてつづけに拝むのですから。 でも、本地垂迹説にのっとれば、変ではなくなる。 日本独特なのでしょうか。 いやまてよ、ヒンドゥー教の神様と仏教の仏様が一緒に祀られていたり、 ユダヤ教からキリスト教が出てきて、さらにイスラム教もできているらしいから、 新しい宗教が根付くためには、 それまでのものとどこかつながるのが、自然な流れなのでしょうね。 そうやって、人は、納得していくのでしょう。 これは、青岸渡寺のすぐ裏から見える景色。 暴風雨なので、煙ってみえます。 それから、また長い石段をゆっくり降りていき、 途中のお店で、すずりや文鎮を買い求め、 無事に、転ばずに、バスまで戻ることができました。 これが泊まったホテルからの眺望。 私の部屋には何と三つのベッドがありましたよ。 びっくりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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