テーマ:暮らしを楽しむ(387943)
カテゴリ:日記
この間、ネットのニュースを見ていたら、 有名中学の入試問題とその解答が紹介されていた。 中学の入試ということは、出題範囲は、小学校の算数。 ちょっと、やってみよう!! チャレンジしてみました。 まずは、灘中。 最初の一問だけですが、答え合わせをしたら正解だったので、 純粋にうれしかったです。 それなら、と勢いづいて、他の中学の問題も、少しずつ。 一番下の問題が、面白かったです。 灘中以外は、知らない学校名なのですが、 きっと、有名なところなのでしょうね。 これこれ、この問題が面白かった。 ややこしそうに見えて、実は単純になるというパターン。 最後に、ここ。 東大寺学園中学校なんていうところがあるのですね。 他にも、いろんなタイプの問題があったのだけど、 ひとまず、こういう分数や少数、整数の計算だけやりましたよ。 で、一応答えは正解できたのだけど、 ひょっとしたら、もっと単純になる計算法があるのかも。 そういうのを考えるのは、楽しいですね。 そういえば、私は公立中学から、公立高校に行ったのですが、 私が受験していた当時は、高校の受験科目が全教科だったの。 数学、英語、国語、理科、社会、以外に、 技術家庭科や音楽、美術、体育も、受験勉強しました。 だから、音楽史とか、美術史なんかも覚えたし、 板のどこが木口かとか、味噌汁の塩分濃度はどれくらいかとか、 そんなことまで、受験勉強の範囲だったの。 今思うと、受験科目が全教科というのは、良かったのではないかしら。 義務教育の総まとめという感じでしたからね。 私が高校受験をした数年後には、主要五教科のみの受験となり、 なんだか、寂しい気持ちになりましたよ。 大学の受験の時は、私は文系だったので、 受験教科は数2Bまで、選択科目は、化学と日本史にしていたので、 数3の授業とか、物理や倫社の時間なんかは、少し気が抜けていたかも。 だけど、ちょうど高校三年生の時に 私の父が癌でずっと入院していたから、 担任の先生の勧めで奨学金の申請をしました。 それで、ある程度の成績でないと受けられないということで、 受験科目でない教科も ちゃんと勉強しましたよ。 大学の講義も楽しかったので、毎日お弁当を作ってもらい、 同じ高校から行った仲間5人と、早朝から国鉄で通学していました。 そして、たいてい一番前の席を陣取って、 誰が一番たくさんノートを取るか、という勝負をしていましたね。 私たちは、とっても真面目なグループだったので、 講義をさぼったりもしていません。 私が大学を休んだのは、一日だけ。 それも、朝から出た鼻血が止まらず、病院に行ったため、 という凄い理由。 おかげで、余分にたくさんの講義の単位を取り、 たくさんの資格も取りましたよ。 今思い出しても、大学生活は楽しかったです。 親からは、交通費だけ出してもらい、学費は奨学金。 お小遣いは、すべて家庭教師などのバイトで稼いでいました。 大学の授業料が、一か月3000円(年間3万6000円)の時代でしたから、 なんとかなったのかもしれませんね。 国鉄の学割定期も、ものすごーーーく安かったし。 片道140円なのに、6ヶ月定期が8000円だったもの。 一日分で280円なのに、こんなに安くて良いのかしら、と不安になるくらい。 今は、学費も学割の定期も、なんかすべて高いですね。 うちの子どもたちは、全員私立に通いましたので、 それはそれは、学費もかかりました。 次男坊は、そのおかげで、向こうから声をかけていただいて、 その系列大学に就職が決まったので、 本当に良かったと思います。 毎朝、自分で起きて、朝食を食べてから、バスと電車で通勤。 職場についたら、上靴用のスニーカーに履き替え、 スーツの上着は脱いで、ジャージの上を羽織って仕事をしているらしい。 私は、Yシャツを毎日手洗いで洗濯し、ピシッとアイロンをかけておくのと、 革靴を毎晩、昔ながらの靴クリームでピッカピカにしておくこと。 次男坊のためには、この二つを、がんばっています。 去年までとは違い、今年は暇ですからねー。 こういうことも、楽しんでやっていますよ。 さて、明日は、「世界の歌」と「リコーダー」の日です。 毎回、「帰れソレントへ」で始まり「オーソレミオ」で終わるのが なかなかいい感じです。 リコーダーの方も、新しい先生に期待が持てるし、 わくわくしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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