テーマ:今日のこと★☆(105840)
カテゴリ:日記
今日のお昼に、一階に降りて、昼食の準備をしていたら、 居間にいた母が、昨日の出来事を話しはじめた。 毎週日曜日には、よほどのことがない限り、水泳に行っている母。 昨日は、バスで帰るつもりが、バス停につく前に、 2台もバスが通り過ぎていったとか。 それで、タクシーに乗ったら、60歳過ぎの女性ドライバーで、 行先を言うとその人が、なんか久しぶりだという話を始めたらしい。 もうずいぶん前になるけど、よくそのあたりにお客さんを乗せたのだとか。 話をしているうちに、母がピーンときて、 「〇〇ていう名前じゃなかったですか?」 と聞くと、大当たり。 うちの父のことを覚えていたのだそうです。 それで、うちの前に到着したあとも、しばらくタクシーの中で 父の思い出をいろいろと話していたそうな。 すごいですねー。 父はもう、亡くなって20年くらいたつのですよ。 以前は、母がタクシーに乗ると、よく父のことを言われていたらしいけど、 今回は、久しぶりだったそうです。 父の葬儀の時には、タクシー会社の人たちが、たくさん参列してくれたとか。 それは知りませんでしたね。 父は、とにかく、面倒見がよい人で、 タクシーの運転士さんにも、 お寿司(接待で使った高級寿司店の物)をあげたり、 何人かまとめて、飲みに連れていったり、していたらしい。 それは、今日聞くまで、知らなかったなぁ。 会社の人たちにも、お金を貸してあげたり、 なんかかんかお世話をいっぱいしていたから、 父の葬儀の時は、ものすごいことになっていました。 砲兵として満州に渡り、敗戦後はシベリアで抑留生活。 だけど、ロシア語をすぐに覚え、数学ができたことで、 シベリア鉄道の設計のお手伝いなんかをして、食料をもらえたので、 3年間、無事に生き抜いて日本に帰ってくることができました。 そのおかげで、今の私があるわけですから、 本当にありがたい。 母からすると、父はよその人のお世話ばかりして、 家庭には生活費をちっとも入れなかったのが不満だったようです。 だから、母の内職(紳士服の仕立て)で、 毎日のご飯とか、家賃とか私の世話とかみんなやってくれたのね。 それを覚えているので、 どんなに母が横暴なことを言っても、はいはい、と受け入れます。 母は不満そうだったけど、私から見ると、父は優しくて、 いつも私のことをほめてくれるのでくすぐったい気分でした。 何でも、すぐに自分で調べる癖は、 父のおかげで身についたと思います。 喉頭がん、大動脈瘤破裂、肝炎、そして2回目の大動脈瘤破裂。 病気と、仕事の人生でしたが、 偉大な父だったと思います。 今日は、せっかくなので、父の思い出を少しばかり・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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