カテゴリ:日記
昨日作ったきな粉ねじりは、冷蔵庫で冷やして、少し硬くしていただいています。
で、水あめを食べたのは、いつ以来かなぁ・・・なんて考えていたら、子供の頃に水あめを舐めながら見ていた紙芝居のことなんか、思い出してしまいましたよ。 少し拡大すると、 これは、子供時代に一番長く住んでいたあたりの略図。(黄色は線路) Googleの地図を見ながら描いたらこうなったのだけど、子供の時の記憶で書くと、こうなります。 銭湯の斜め前のアパートにいた時、そのすぐ前が空き地だったの。学校から帰ってきたら、みんなここで遊んでいました。 ポン菓子屋さんも来たし、紙芝居屋さんも来た。 最初にお金を払うと、短い割りばしみたいなの2本を水あめの缶に突っ込んで、一塊つけてくれました。 受け取ったら、その2本の割りばしみたいなのを両手に持ち替えて、くねくねこねます。すると空気が入ってだんだん白くなるの。 そうこうするうちに、紙芝居が始まって、みんなで見ていました。 水あめでなく、板ガムみたいな物に押し型がついていて、その形の通りにきれいに折りとることができたら、もう一つ何かもらえたこともあったみたい。 ま、とにかく、水あめといえば、紙芝居屋さん。 あ、ついつい書き込んでしまった「事故現場」ですが、朝学校に行く途中、長い踏切を渡った直後に道路を横切ろうとしてしまったため、バイクと衝突してしまいました。道の反対側に友達の姿を見つけたので、一緒に行こうと、そればかり頭にあって道を渡ってしまったの。バカですねー。 私とぶつかったバイクに乗っていたのは、アサヒビール工場に勤めていた人で、あとでお見舞いに来た時に、箱入りの三ツ矢サイダーを持ってきてくれたのを覚えています。 その家のおばあちゃんも一緒にやってきて、ひたすら謝って、自分の家にはお金がない、というようなことも言われていたし、急に渡った私が悪いのもわかっていたので、何も賠償金みたいなのをもらわなかったですね。 では、もう少し広い範囲の地図を この☆印のところが、福岡市内で住んでいた場所です。 父と母が結婚して最初は母の実家のある佐賀県にいて、その後私が生まれる頃には父の実家の鹿児島県へ。 でも、父はシベリアに抑留されていたから「アカ」に染まっているとのことで鹿児島には居づらくなって、福岡に出てきました。(尤も、あとで父は経営者になったから、考えは変わったみたい) 子供時代のうち、一番長く過ごしたのが、竹下の近所。 その後今の家に引っ越してきたけど、一回一人暮らしをし、その後また戻ってきてから結婚。それからしばらくは職員住宅にいたけど、出なくてはいけなくなったので、私の実家を二世帯住宅に建て替えてまた住んでいます。 もうここからは引っ越さない予定です。 水あめから、なんか昔のことをいろいろと思い出してしまいました。 さて、昨日はオカリナサークルの人にいっぱいエコたわしをあげて喜んでもらったので、かえってきてから、これだけ編みました。今度は土曜日に「かな書」の仲間にあげようと思います。 昨日編んだのが、この17個。 そして、オカリナの人にあげたのが、21個。 このかごの中身を空にしようと思っているのですが、まだまだです。 うーむ、たわしばかり編んでいても、なくなりません。座布団カバーとか編もうかな・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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