テーマ:今日のこと★☆(105809)
カテゴリ:料理・おやつ
この家を二世帯住宅に建て直し、私の両親との同居をはじめてから一年後、父はその10年前に手術していたのと同じ「大動脈瘤破裂」で、大学病院に運ばれて、約三か月間の闘病の末、ラストチャンスをねらった手術の最中に亡くなりました。 手術室に運ばれていくときに、「絶対にもどってくるからね。」と言っていましたが、やっぱり血管がもろくなっていたし、二度目の破裂ですから、手術も難航したようで・・・ ひょっとしたら、一回目の破裂の時に手術してくださった先生がいらっしゃったら、大丈夫だったのかもしれませんが、その先生は(お酒の飲みすぎ?)肝臓を悪くして、すでに亡くなっていましたから、しょうがないです。 手術をして亡くなったのが木曜日。会社の人たちが話し合って、社葬にしようということになり、取引先の人などたくさんの人が来られるだろうことを考えると、土曜日か日曜日。でも、土曜日は友引だったので、お葬式は日曜日にすることになりました。 つまり、お通夜を三晩もやったのです。自宅の客間にお棺を置いて、体の周りにはドライアイスをいっぱい入れてあり、毎日葬儀社の人が取り換えにやってきました。(夏ですから) 父は、鹿児島の和菓子屋さんの長男でしたが、シベリアに3年間ほど抑留されていた関係で、アカに染まっているとかで、田舎には住みづらく、福岡に出てきていたようです。 そして、炭鉱主だった人の家に遊びに行ったりしていたらしいですが、その家の末娘だったのが、うちの母。母は、厳しい父親(私のじいちゃん)の元から逃げ出したい一心で、父と結婚して、言葉も文化も全く違う鹿児島の肝属半島へ。 私が生まれ、1才になるくらいまでは父の実家で過ごしたけれど、その後佐賀の母の実家に出てしばらく住んでから、福岡に出てきました。 父は設計士の資格を持っていたので、そんな関係の仕事をしているうちに、富士電機の子会社の社長に雇われ、その後三菱系の会社へ。そして、自分で空調関係の会社を作ったのでしたよ。 私は一人っ子だったけれど、父の会社を継ぐなんて、全く考えてなかった。 第一、高校三年生の時に父が喉頭ガンになって、手術、長い入院生活・・・母は病院につきっきり。 というわけで、いつ亡くなるかわからないので、私は自宅から通える大学へ行き、一生母を養っていけるように、60歳まで働くことのできる仕事(地方公務員)についたのでした。 おかげさまで、父はかすれ声ではあるけれど、なんとか人との会話ができるくらいに回復し、会社も持ちこたえていました。 でも、母はいつもぼやいていました。 (母)「おとうちゃんは、よその人からは「いつもお世話になってます」て御礼を言われるけど、自分の家の世話は、なーんもせん人やった。」 お給料袋をそのまま母に渡したことがないらしく、私が20歳になるまでは、母は自宅で紳士服を縫って、そのお金で生活費に充てていたみたい。だから、昔の話をすると、最後には父へのうらみごとの話になったり、私への説教になったりするので、いやなんだよねー。 私としては、父にものすごーく可愛がってもらったし、信用してもらっていたので、父のことは好きでした。優しいし、頭が切れる。記憶力がものすごいし、どーんと構えている。 働き者だった母のことは尊敬はするけれど、好きではないなぁ。(すぐ感情的になる、自分が一番正しい、人のあら捜しをして指摘するのが好き) いつも、「あんな母親にはならんどこう。」と思っていました。(反面教師!) さて、お参りに行った話に戻しましょう。持っていったのは、この瑠璃(るり)のお数珠。ラピスラズリです。仏壇を買ったお店で一緒に買いました。(それまで、うちには仏壇がなかった) 他の人があまり持っていない色だし、パワーストーンでもあるので、気に入って使っています。 では、朝ごはんね。 今朝は、どんぶり物みたいにして食べました。 でも、昨夜は、 こんな感じで、牛肉・ゴボウの生姜煮はおかずの一つでした。買ってきていたキウイは、三個ずつだったので、みんなのデザートになりましたよ。 エリンギ入り麻婆豆腐も、とっても美味しかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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