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今朝、庭仕事を始めようとしたときに、甘夏の花が咲きそうになっているのに気づきました。 なら、甘夏採ろうかね。 短い方の高枝伐りハサミを使って、私が取れるところだけ収穫しました。 今年は例年の半分くらいの量です。 母のいる居間の前のお縁に運んだら、さっそく母が包丁で皮をむいて食べていました。 この甘夏の木の下に置いているプランターに、先日パセリの種を適当に蒔いていたら、 芽が出ていました。 本葉も見えますね。 たくさん芽が出ているので、もうしばらくしたら、大きい物を掘って、別の植木鉢に植えよう。 その横には、北風の中生き延びてきたラベンダーが。 門の外の植え込みのラベンダーは、これよりも少し色が薄いタイプです。 ラベンダーが、横を通るだけで香ってくるので、本当にいい気分です。 この場所の姫ウツギは、もう満開かも。 庭の方の姫ウツギは、まだこれからです。
胡蝶ワビスケの下に出ていたアッツザクラが、今日ついに咲きました。 つぼみがたくさん見えますね。楽しみです。 この名前が、第二次世界大戦のときのアッツ島にちなんだものだと聞いたことがあったけど、 そのアッツ島、なんとなく、南洋の島なのかと思っていましたよ。 さっき確かめたら、なんと寒い寒いアリューシャン列島の中の島なのだそうですね。 カムチャツカ半島に近い、ということで、18世紀頃には、ロシアが流刑地として使ったという記録もあるらしい。 でも、ヨーロッパ方面からも、アメリカからも、この島は重要視されておらず、日本人が移住して住んでいた記録もあるとか。 第二次世界大戦がはじまってから、日本軍は、この島に上陸して占領し、島を無人化することにして、40人のアッツ島民を小樽市に移送して、収容。 その後、1943年5月13日に、日本軍の五倍のアメリカ軍がやってきて、戦闘となり、日本軍は玉砕。 戦後、小樽で抑留されていたアッツ島民で、生き残っていた人たちは25人。 でも、アメリカは、アリューシャン列島の西側半分を無人化する計画だったので、島民が家に帰ることは認めず、別の島へ移されたとか。 なんだか、「日本にもアメリカにも、国の都合で翻弄された」と言えるでしょうね。 島民の方たちがお気の毒です。 ・アッツ島で日本軍が玉砕したことを悼んで「アッツ桜」と命名したという説 ・アッツ島を日本軍が占領したことを記念して「アッツ桜」と命名したという説 どちらも、島民の哀しい運命には無関係で、申し訳ない気がします。 そうそう、これは、にょきにょきと伸びた「へた大根」。 うちの庭にはモンシロチョウがよくやってくるので、毎日、卵を産みつけていきます。 大根も、アブラナ科ですからね。 でも、せっかくの花芽や葉っぱを食べられるのはイヤなので、卵のうちに、せっせと取り除いていますよ。 シラー・ペルビアナも、花がいっぱいになってきました。 この写真は、パソコンの壁紙にしています。 バラも咲いてきたし、 鉢植えの花たちも、どんどんにぎやかに。 最後に、今作っているもの。 ビーズ織りの道具があるし、材料もたくさん残っているので、久しぶりにビーズ織りをしています。 以前夢中で作っていたときの図案はたくさん残っているけれど、 今回、またひと工夫していますよ。 同じではつまらないからね。 こういう図案を考えるのが楽しい。
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kororin912
好きなものがありすぎて、時間が足りず困っています。 そんな私の、自由日記。
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