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昨日は、ブログをアップしたあとで墨彩画教室に行ったので、その時の絵を。 たいていは、季節の動植物とか行事の絵が課題となります。 今回は、下の学年から、 ・そらまめ・どくだみ・さくらんぼ・麦・スズラン・ドクダミ畑・鮎・山吹 という課題でした。 頂いたカラーコピーとは、いつもちょっと違った感じのお手本を描いて下さるのですが、 お花の周りにいろんな色を散らして、ちょっと華やかに・・・ 緑の線を描いてから、中に色を入れる方式だったので、葉っぱを描くのがラクチンでした。 というわけで、私が描いたのはこれ。 一枚目に描いたものは、背景の顔彩が濃くなりすぎたので、ボツ。 これは、二枚目です。 先生が各学年の人たちに、それぞれお手本を描いてくださるのを、 みんなもついて回って、学ばせていただきながら、いろんな雑談もします。 先生が一番上の学年の人に「山吹」の花のひと枝を描いているとき、 そえられたのは俳句ではなく、和歌でした。 山吹といえば・・・これですね。 これが、元の和歌ですが、太田道灌の逸話が、有名です。 雑談の中で、先生が、 「あ、誰やったっけ? 鷹狩りの時の話で・・・」 と、詰まったので、 (私)「太田道灌?」 と、反射的に出てしまいました。 言ったあとで、(そうやったかいなぁ・・・)と、ちょっと不安になったけれど、 間違いなくてよかった。 この話は、中学か高校の教科書に載っていた気がします。 とても有名なお話だし、落語なんかにもなっていますよね。 私が気になったのは、和歌の最後が、「あやしき」だったか「悲しき」だったか・・・ 調べたら、どちらもあるんですよね。 でも、最初は「あやしき」だったのが、後世、いろんな本に転載されているうちに、 次第に「悲しき」と書かれることが増えたみたいでした。 「あやしき」だったら、実が一つもつかないのが不思議だ、という意味だけれど、 「悲しき」だったら、蓑が一つもないのが悲しい、という意味に近づいてしまいます。 兼明親王の場合、親王なのに、蓑も貸せない暮らしぶりであったことを、 山吹のひと枝に託して、ちょっと自虐的に、暮らしぶりを詠っているのがいいですね。 兼明親王は、醍醐天皇の第11皇子で、6歳の時に臣籍降下して源兼明となったけれど、 晩年63歳の時に皇族に復帰、名誉職の中務卿となったけれど、74歳で亡くなりました。 山吹の和歌を詠んだのは、嵯峨野の小倉の別荘に住んでいた頃のことだから、 もう名誉職もやめて、隠遁したあとのことなのかなぁ。 ちなみに、八重でない、普通の山吹の花には、ちゃんと実がなるようです。 でも、万葉の頃から、日本では八重の山吹が一般的だったので、 山吹といえば、実がならない、というのが有名だったみたい。 花咲きて 実はならねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花 (万葉集10巻 作者未詳) あら、脱線した・・・ では、今日の庭の花ね。 元からあったパセリは、すっかり伸びてしまって、食べる気にならない感じ。 種蒔きしていたパセリが、どんどん新しい葉を伸ばしているので、 今日は、少し摘んできて食べてみました。 最近、汁ビーフンが好き。二階のレンジで作るのですが、 たいていは、前の日のうちに切っておいた野菜を一緒に煮込んで食べています。 今朝は、出来上がったところに、パセリを落とし入れ、さっとまぜて頂きました。 美味しかったですよ~。 たくさん芽が出ているので、こんな食べ方をしていこうかな・・・
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kororin912
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