テーマ:今日のこと★☆(105817)
カテゴリ:日記
父が亡くなったのは、1997年の7月17日。
4月1日に、2度目の大動脈瘤破裂を起こし、緊急入院。 ところが、その10年前の一度目の大動脈瘤破裂の時の癒着のおかげで、 破裂して出血した血液が漏れ出さないで、体の中に閉じ込められた状態になっていました。 もちろん、そのままでは治るわけもなく、 大学病院で、懸命の治療がされました。 なんとか3か月間命が続いたので、父は最後の挑戦を選びました。 ほとんど成功の見込みはなかったのだけど、 手術を受けて、破裂した血管の修復をしてもらうつもりだったようです。 朝から始まった手術は、夜まで続き、最後は、医師が母に尋ねにきました。 ・これ以上の治療は無理。 ・なんとか縫いあわせても、意識は戻らないまま、機械で生かすだけ。 「どうされますか?」 とのことだったので、母は、 「ありがとうございました。もう結構です。」 と返事をして、それで終了。 父は、手術室に入る前に、 「絶対戻ってくるからね。」 と言っていたのですが、無理でした。 だいたい、その10年前の大動脈瘤破裂で、奇跡的に助かっていたので、 その後の10年間が、孫とも過ごせた、おまけの人生だったのかもしれませんね。 二世帯住宅にして、1年間だけの同居生活。 亡くなるまで、現役で会社を経営していたため、 関連会社や下請けの人たちなど、参列者がとても多いだろうと予測され、 次の日曜日まで、なんと3日間も自宅で通夜をしたんですよ。 今仏間にしているところに、棺を置いて、その中に父を寝かせ、 葬儀屋さんが毎日ドライアイスを入れ替えに来られていました。 夏のことでしたから・・・ 3日間もあったので、たくさんの人がお通夜に来てくださいました。 私たちと、ゆっくりとした時間を過ごし、 日曜日には、大きな斎場での社葬となりました。 父の会社は三菱系だったので、その関連の人たちがたくさん、 私と旦那の職場関係の人たちもたくさん、 鹿児島と佐賀から、親戚の人たちもたくさん見えました。 あれは、1997年の夏のこと。 香港返還の年です。(香港返還は、1997年7月1日) 父の人生最後の一年間を、私たち家族、特に孫たちと一緒の生活にすることができて、 本当によかったな、と思っています。 だいぶ弱っていた父のため、二世帯住宅を建てるときに 段差なし、引き戸と手すりだらけの家にしていたのが、 今、母の役に立ち、そろそろ私たち夫婦の役にも立ちそうです。 今日は、父のことを、息子たちとも語り合いたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日記] カテゴリの最新記事
|
|