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カテゴリ:小説
勇作は貧乏ゆすりしながらじっとこちらの答えを待っている。すがる子供のような瞳を受け止めるべく、まっすぐに勇作を見据えて答える。
『先生、今度俺のヌード写真撮ってくださいよ』 『……高くつくぜ』 鼻の頭を照れくさそうにかいてから、勇作はそう答え、玲にくちづけた。 それから一週間後の今。 結局勇作は玲の裸を撮っていない。なぜかというと、いつも瞳に焼き付けているから撮影する必要はないそうだ。 『俺以外の奴に見られて、お前を奪られちまったら困るからな』 大まじめに気障なセリフを吐く彼に思わず吹き出すと、軽く頭をこずかれた。 その代わり、玲は他の写真を勇作に撮られたが、それはヌードではない。勇作にもらった万年筆を手にして微笑んでいる写真だ。 それはとある雑誌に載せられた短編小説に添えられた写真だった。原稿依頼してきたのは悠実だ。あの喫茶店に呼び出された時、てっきり玲は謝罪を要求されるのかと思い、すでに到着していた悠実の姿を見た途端、頭を下げた。 『顔上げてよ。こんなところで恥ずかしいわよ』 ハイヒールを履いた脚を組みながら、悠実はそっけなく言い放った。上目で見るとどこか彼女が寂しそうに微笑んでいたと感じたのは、気のせいだろうか。 すぐに悠実は編集者の顔に戻り、テーブルの上に一冊の雑誌を置いた。 『これ、うちの出版社で創刊したばかりの雑誌なんだけど書いてみない? 大河内先生があなたを推してくれたの』 『えっ? 先生が?』 思わず声が大きくなる。後足で砂を掛けるようなマネをしたというのに、あの大作家がそんな手配をしてくれるとは思っても見なかった。悠実も同じことを思っていたようだった。大きくうなずく。 『私も信じられないわよ。けど、あなたの純愛に感動したんだって。大河内先生のおかげで、うちの編集長もべつに怒ってないわよ。あなた、大河内先生に一生脚を向けて寝られないわね。まあ、先生のことだから今度の作品のモチーフにされるかもしれないけど』 最後の一言に、思わず頬がこわばる。それを見て悠実はカラカラと笑った。 『まあ、そんなに気にしなくてもいいわよ。先生大人だから、あからさまにモデルにしたりはしないだろうし』 ホッと一安心している間に、悠実は考え深げにうつむいていた。ぽつり、とつぶやくように言う。 『アランさんから聞いたわ。フリーハウス、大変だったんだってね』 『悠実……』 知ってたのか、と問いかけようとした時、悠実はきっぱりと首を横に振った。 『私のことはもう悠実、なんて呼ばないで。私たち、編集者と作家なんだから。あなたが呼び捨てにするべき人間は、他にいるでしょ?』 悠実の大きな瞳はかすかにうるんでいた。 『……ありがとう。大杉、さん』 そう答えると、玲の肩を「がんばっていい原稿書いてよ!」と強く肩を叩かれた。痛みに顔をしかめながら彼女を見ると、涙が少しこぼれていた。 料理本に視線を落としている玲に、勇作が膝に頭を置いてくる。 「何なんですか、唐突に」 「いいじゃねえか、膝枕くらい。これも愛人契約のうち――じゃなくて」 そう言って、勇作は手を伸ばして玲の頬に触れた。 「俺たち、本当の恋人同士になったんだからさ」 胸が熱くなる。自分を見上げる勇作の顔が、いとおしさに満ちあふれていたからだった。 こんなにも勇作は愛してくれているのだ。いつもなら「何気障なこと言ってるんですか」と憎まれ口でも叩くところだが、今日の玲は違った。 悠実に言われた言葉を思い出し、深呼吸してその言葉を口にする。 「そうですね……俺もあなたが好きです、先生……じゃなくて、勇作さん」 ロマンティックな告白のつもりだったが、勇作の反応は期待と違っていた。本の乱丁に気づいたように、眉をひそめている。 「ど、どうしたんですか?」 何かまずいことでも言ってしまったのかと訊ねると、勇作はふと笑みを漏らし、ちっ、ちっと人差し指を顔の前で振った。 「お前、今あわてて先生から勇作って呼ぶ直しただろ」 「それは……そうですけど」 からかわれていたことが分かって、ほっとすると同時にむっとする。 「ずいぶん無理してるんだろうなと思ってさ。以前、俺、何度かお前に名前で呼んでくれって頼んでたこと、覚えてたんだな。そこまでして俺を喜ばせてくれようとしてるのか、そうか~。うーん、可愛い奴」 がばっと抱きつかれる。大型犬になつかれるように、何度も頬をすりつけられた。 「や、やめてください、先生」 「ほら、また先生って言った」 「す、すみません、先生……じゃなくて、勇作さんっ」 あわてて言い直すと、いきなり抱擁を解かれた。いつしか勇作は真顔になっていた。つつみこまれるように見つめられ、鼓動が早くなる。 「いいよ、先生で」 「えっ、でも……」 言い募ろうとしたら、こつん、と額に額をくっつけられた。視界いっぱいに勇作の顔が広がり、慈しみに満ちたまなざしで見つめられる。 「こんなことで俺、お前の気持ちを試さなくてももう知ってるから。お前が俺のこと想っててくれるってこと――それ以上に、お前のこと何でも知ってる。百科事典みたいに」 じわり、と体があたたかくなった。 ずっと今まで素直になれなかったのに。 さんざん困らせてきたのに。 こんなにも、勇作は愛してくれている。 「……先生」 それ以上、言葉にならなかった。涙が後から後からあふれてきて、あわてて手の甲で拭う。 そんな玲の頬を勇作は大きな手のひらでつつみこんだ。親指で優しく涙を拭われる。また勇作の前で泣いてしまった照れかくしに、自分で自分にツッコミを入れる。 「俺、馬鹿ですね。あいかわらず名前で呼べなくて」 「べつにいいって言っただろ。それに俺、お前の管理人でもあるから、それ許可する」 「えっ?」 「ずっとお前のそばにいて、守ってやる。さしずめ俺とお前がフリーハウスの管理人であるみたいに、俺もお前の管理人なんだよ。お前のこと何でも知ってる管理人。玲、頼りないから俺がそばにいないとなあ、やっぱり」 わざとらしく腕組みをしてうなずく勇作に、玲は思いっきり悪態をついてやる。 「うぬぼれないで下さいよ、まったく!」 そう言ってあっかんべえをすると、舌がぬくもりでつつまれた。勇作に深くくちづけられたのだった。 やがて玲も勇作の背中に手を回し、その優しさに身を委ねる。体の中の澱が、すべて解けていくようだった。これから作家としてやっていけるかどうかは分からないが、ただひとつだけ確かなことはある。 勇作が、たいせつなひとであるということ。 玲の好きな部分にくちづけを落とし続けた後、ふと勇作がつぶやいた。 「俺、今いいこと思いついた。お前の次の作品に使えよ」 「……何ですか?」 熱い吐息の中、訊ねるといたずらっぽく勇作は答えた。 「愛人管理全百科。契約だけで繋がってる人間を、どうやって本当の恋人にするかっていう小説」 「……馬鹿!」 そう言って、玲は自分から勇作を求めた。ふと視線を感じ、窓の外を見ると黒猫――グレンがいた。声に出さずに、玲は呼びかける。 ”俺、もうずっとここにいる。先生たちと一緒に生きていく”と。 グレンは満足げに鳴き声を上げて去っていき、玲はふたたび勇作と求め合った。 玲の著作が書店に並ぶのはそれから一年後のことだ。内容は作家志望の主人公がマンションの管理人をしていくうちに黒猫と対立し、やがて友情を結ぶというファンタジー小説で、読者から読むと幸福な気持ちになると好評だった。ファンタジーでありながら、リアルな雰囲気もあるところが魅力だと。 玲の成功を一番祝ってくれたのは勇作――いや、グレン、それとも亡き茂内氏だったかもしれない。 とにかく、玲は勇作のそばで幸せだった。いつまでも、いつまでも。 終わり ポチっと押していただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月21日 20時02分56秒
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