だんぎくの花の咲く頃
夏の日差しがだんだん弱くなり 玄爺の仕事も忙しくなってきたある日。いつものように山の林道を歩いていると イノシシの檻の中に子たぬきが一匹入っていた。玄爺が近づくと側のしげみがガサガサ音を立て、ビー玉のようなくりっとした大きな目がじっと息を止めて檻の様子を見ていた。玄爺は「あれまあ イノシシじゃなくて子狸がかかっちまって、 親狸が心配しているだろうに。」そう言って 檻を開けると、その瞬間に茶色のかたまりが玄爺の足元をかすめ檻の中に入り 子狸をかばうように玄爺の前に立ちはだかった。それは 前足をつっぱり、歯をむき出しにして フゥーフゥーと息を荒く立て玄爺に挑むような顔をした親狸の姿だった。「ほれ なにを怒っているんだい、 さあ 早くここから出て山へお帰り。」玄爺は親狸の捨て身の姿に半分驚き そして檻から離れた。ガサっと音がして藪がゆれ 狸が走り去る音を背中で聞きながら、玄爺は「もう 二度と仕掛け檻になんか掛かるんじゃないよ。」そうつぶやきながら山道を下りた。その晩 玄爺は3年前に亡くなったお春婆さんの夢を見た。とても明るくて元気に畑仕事をして玄爺のしたことを大そう嬉しそうに喜んだ。そんな夢だった。一週間程たった頃、 玄爺は明日がお春婆さんのたち日だったことを思い出し、だからそんな夢を見たんだと思い、今日はお墓のお掃除でもしようと仕度をしていた。その時、さほど遠くに住んでいる訳では無いが余り顔を見せた事が無い息子夫婦から今から子ども達を連れて泊りがけで遊びにくるという電話が掛かってきた。息子夫婦とは普段あまり連絡など取り合わないのに不思議だったが、これもお春婆さんがもしかしたら呼んだのかも知れないと一層丁寧にお墓の掃除をした。久しぶりに見る孫達はすっかり大きくなり玄爺は嬉しさと寂しさが同時に心の中に込み上げてきた。孫達と息子と玄爺で家の修理やら野良仕事の道具の修理。そして玄爺の仕事場の山を歩き回った。その間家では息子の嫁が煮物や漬物など玄爺の好きなものばかり作り、家中いい匂いで一杯になった。お腹一杯食べて笑って、お喋りをして、皆でお風呂に入って。そりゃ 正月と盆と誕生日が一度に来たような、そんな一日だった。次の日、息子夫婦が帰る時「おやじ 実はね これなんだ。」そう 言って 胸ポケットから大事に包まれた一本の花を取り出した。「この花はおやじの大切にしている畑の脇に咲いている花だよね。ひとめ見てすぐに判ったよ。 これがね 不思議なんだがおとといの晩みんなで食事をしている時に何処からともなく舞い込んできたんだ。そしたらさ、子ども達が急におじいちゃんに会いたいって言い出して、あいつも普段顔も出していないから申し訳ないって、これ この携帯使ってよ。もうね登録してあるから、1番がオレの携帯、2番があいつの。 3番が警察、4番が病院。充電だけは忘れないように それじゃ また来るから 。」見送ったあと家に入ろうと振り返った玄爺は裏山の茂みに 微かに光るびー玉のような目が幾つも並んでいるのを見つけた。そうか お前達の仕業だな。そう言ってくすっと笑う目の前にはだんぎくの花が揺れていた。だんぎく花ことば 「忘れえぬ思い」