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カテゴリ:ライフスタイル
「人間は自分が好きである」
人間は生涯をかけて自分探しの旅をしている。 なかなかしっくりした答えが見つからない。 幸せの定義 ○ 無条件である ○ 真実である 先日、大学生の子どもを持つ人とお話をした。 子どもさんは、心理学方面を専攻したかったようであるが、親が反対され、一旦中断している。 親の判断が正しいとしても、子どもは自分の失敗が起こるたびに、親のせいにすることも出てくるだろう。 「本当は自分が何をしたいのか分からないのです。」という答えである。 生計のため、経営学や、会計の勉強を始めているのです。 と言われる。 私たちは、案外自分のしたいことが何であるのか、分からないこともある。 単に惰性で、この日を迎えている場合も多いのではないだろうか? 自分の本当にしたいこと ○歌手になりたい ○弁護士になりたい ○政治家になりたい ○野球選手になりたい 職業選択の自由と現実のギャップは、自分の願望どおりの人生を展開させてはくれない。 自分の夢を実現でき、まっしぐらな人が、人生の成功者なのであろうか? しかしながら、それらは私から見れば、幻のように思えるのである。 「人生の意味」を自分で確信が持てず、人の価値観で振り回されている間は、幸せとは無縁とも言える。 幸せは人が決めることではないのではなかろうか? 譬え、政治家の一家に生まれ、首相になろうとも、本人が画家になりたい願望が強ければ、その人の夢は実現できていないのである。 優先順位一位、「自分の人生は自分のものである。」 有限な命からみれば、どのような環境や条件も人を満足させることは出来ない。 私たちは「自分と握手」できる日をいつか実現するために、目標を持つ、それは当然である。 問題は実現することと言うよりも、それに向かう人生そのものにあるということを忘れがちである。 現在の自分を納得さすに足るのは、「金メダル」という成果であるが、これ自身、自分が設定したものでない限り、目標は幸せ足り得ないと考える。 真の目的は「今の自分が幸せ」と感じる、能力の開発にあるのである。 自分のしたいことが見つからない人は、実は目標を掲げている人よりも、真実を見るチャンスを得ているのである。 人生の目的の一つには、「自分が好きになる」ことを心底から感じられることにあるのです。 ですから、そのために私たちは日々努力をするのではないだろうか? これが無条件の一つです。 首相にもなれず、弁護士にも、歌手にもなれない。そんな自分が嫌になっていませんか? それらが人生の目的足り得ないと知れば、「今を生きる」大切さを身に沁みて、少しずつ理解が深まれば、新しい価値観が明確になる気が致します。 「結果に囚われない」人生を歩むことを、お薦めしたいと考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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