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カテゴリ:人間関係
敬語は難しい、しっかりと使うことが私には上手くできない。
だから、時々マナーに関する書物など読むこともある。 今のところ身に付いていない。 取引先の会社に訪問する時、応接室でどこに座ればいいのか迷ったりする。 名刺の渡し方なども、その種の本を見て、実行することもあるが、付け刃なのか、すぐはがれてしまう。マナーも努力すれば、少しずつ上達する技術と考えるようになった。 人間関係で難しいのは夫婦の間柄でも、言葉の使い間違いをすると冷戦が始まることがある。 気安い関係であるから大概は多めに看てくれるが、言葉使いは、マナーの中でも一番難しい部類にはいるだろう。 敬語の使い方については、専門書に譲りたい。 さて、人生での敬語の利用法とはどういうものだろうか? 私の基準は、「人間は自分が一番偉いと思っている。」 この事実に気付いてから、「社長」「先生」と使われる言葉の重みが薄れてしまった。 人間生活の上で、強い立場の人への怖れから、作り出された方便であると理解するようになった。 それ以降、基本的には「良い言葉」を使うことを気にかけるようになった。 だからマナーは忘れがちである。 友人を求めるようになってから、外交辞令に気を使わなくなってきている。 そのお蔭で、友人は増えたが、先生との付き合いは減っている。 だから、先生との付き合いを増やしたくなれば、マナーを身につけるのが一番だろう。 最近では、歳若い人との付き合いも出てくる。 職業とか地位によって「先生」と呼ばれる方が、気分を良くされる人が圧倒的に多いから、遣わせて頂いている。 人間関係の潤滑油として、マナーは発展してきたのだろう。 学べば、出世のツールとして、大変便利だとも言える。 孔子も「仁義礼知信」の中で、礼というマナーの大切さを語られている。 賢者の語る、「礼」は、今一般的に通用しているマナーとは少し違うだろうが、 本質的に似通った面もある。 マナー上手は、仕事術でも上位にランクされていいものの気がする。 皆さんも一度学ばれることをお薦めします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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