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カテゴリ:ライフスタイル
「孤独に生きる」
孤独に生きる。懐かしい言葉であった。 同名の本は絶版になっているそうであり、その著者であるイシドロリバス神父はどうしているのであろうか? 大学の寮生の相談にのっていた経験を書かれていた内容であった。 丁度その当時、結婚を考えていた頃と重なっていた気がする。 母は年老いてきて、新しい恋人と母の二者択一を考えた記憶があり、辛い体験をした。 私は先にこの世を去る母を捨て、新しい知人を選択した。 母と分かれ住むことが、苦痛であった。 老親との別居は、新妻にはリラックスをもたらしたが、育児の負担は増えていったようである。 全ては上手くいかない。それが人生であると思う。 色々な矛盾を抱えつつ、いきるのも夫婦生活とも考えている。 全体としては、明るくいきていけるのも、妻の努力と愛情のたまものであろう。 母と別居して、2年程すると、あっさりした性格なのか、「許してあげる」と言ってくれ、救われた気がした。 そういえば、物事に拘らない性格だから、そういってくれたのであろう。 老親への訪問や電話は忘れないようにしている。 大家族制が幸せなのか、核家族が幸せなのか私には分からないが、少なくとも自分の幸せには責任があるだろうから、自分の心を惨めにする行いを控えたいとも考えている。 私が母より妻を選んだ理由は、今後の将来設計からであった。 長く共に住む人は、どちらなのかと考えた結果からであった。 兄弟の中でも母との同居は、私が一番上手く行っていた。 「阿吽の呼吸」の親子である。 だから母は私との同居を望んでいるようだった。 それが実現できなかった時に、母は、1年ほど元気を失っていたが、持ち前の負けじ魂で回復したのには、私自身驚いたと同時に、賢明な生き方を選択してくれた母を尊敬する思いになった。 私は今の生活に満足している。問題は数多いが、あまり、気にしていない。 時には夫婦喧嘩をしたときには、「離婚届けの判を押すからね」と何度か言われたが、馬耳東風を決め込むので、その殺し文句も効き目がないのがわかったようである。 私は仮に、そうなっても気にも掛けない。 母と分かれ、妻と分かれ、子とそして友人隣人と別れるのは、世の常であるから、「早い遅い」の違いにすぎないとも考えている。 人間は生まれ出でた瞬間から、「孤独にいきる」宿命を背負ってきている。 それを快適にいきれば良いのではないだろうか。 「去るものは追わず、来るものは拒まず」を実践するだけで充分である。 肉親とか隣人であろうと、アカの他人であろうとも、ベランダに生きる昆虫や植物とに何の違いがあるのだろうか? 私には同じに思える時がある。 「生きとしいけるものが、皆幸せになりますように」・・・この世界では生命には一つの差もないのであろう。 妻は明るく、母は明るく、兄弟は一生懸命生きていて、隣人は羊羹と、黒砂糖をお土産に持ってきてくれる。 マンションのエレベーターでは多くの人が挨拶をしてくれ、私は明るく振舞う内に気分が爽快になってくる。 自分の幸せは自分で見つけられるようになったことに、感謝したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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