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カテゴリ:ライフスタイル
「自分が考える人生」 2
「自分サイドの願望と相手サイドからの支援」 ○ 自分が考える通りに人生はなる。 ○ 純粋さがそれを継続させる この意味は、自分が希望するとおりに人生がなっていくのではない。 つまり存在は単独ではないから、自分サイドの要求が、他者と調和する時に、一番上手く運び始めると言う意味なのである。 考えてみれば当然過ぎる論理である。 聖賢といわれる人々がくり返しこの真理を語っておられる。 この意味を知ることは、人生にとって大きな価値を発見することだろう。 初めて私がこの言葉に出会ったのは、マルクスアウレリュウスの「自省録」であったと思う。別に気に掛かる言葉ではなかった。 それからも同様な言葉に出会う内に、何か人生の謎が隠されている言葉ではないかと考えるようになった。 最初は「考えているようになる」と自律的に考えていたが、 何か矛盾を感じたのである。 他者を無視し、自分の思い通りになるなら、これほど都合のよい法則はないはずである。 事実、暴君や、独裁者は存在しているが、結果としては破滅したと言われる。 これは宗教的懲罰が働いたと見做されているようである。 多分この論理にも無理がある。 「法則」とは何か? それは調和である。(バランスともいえるだろうか) 調和こそ完成へと繋がるのは、説明するまでもないだろう。 調和が崩れる時に、上手く事が運ぶことはないであろう。 「自分が考えるとおりの人生になっていく」とは、この調和に乗った行動をする時に成し遂げられていく。 「和をもって、尊となす」は、この法則に則った、古典的な名言なのである。 アメリカでは「マスターマインド」と呼ばれ尊重されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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