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カテゴリ:ライフスタイル
「愛は渇き」 ライフスタイル
○執着が苦しみの元 ○肉体と精神の拘り 愛の定義は「苦しみからの救いである。」 苦しみを伴うものは、この定義から外れている。 古代中国では、死者の弔いを3年までにしなさいと、賢者は諭している。 余りにも、死者を悼み人生を棒に振る人がたくさん出たために、そのように諭したとされる。 孝行を重んじる風土があったのも関係している。 さて、時代は変わっても、人間の本質は余り変わらない。 愛して人との生別(離婚)死別に苦しむ姿をみると、愛にどこか勘違いがあったのではないかとも思ってしまう。 愛は救いであり、苦しみとは無縁である。 もしも愛が苦しみの元凶なら、キリストは大変な過ちを犯したことになる。 間違っているのは、聖者であるキリストのわけはない。 勿論、私たちが過ちを犯しているのである。 キリストの愛を知れば、不幸は存在しない。 大胆な言い方だが、世間の愛は殆ど、誤っているのだろう。・・・ それは、死の捉え方が間違っていることからきている。 死の恐怖と不安に囚われるが故に、死を自然に見送れない所に原因がある。 皆様は、路傍の昆虫の死体を見て、少し嫌な気はしますが、3年もそのことを思い続けますか? 多分すぐに「数秒」で忘れ去ることでしょう。 盛者必滅の法則は、全ての生き物の鎧(肉体は滅び土に返る)は壊れる事を教えている。 その真理を素直に認め、死に方=今をどのように充実して生きたかをよ~~く考えられれば、 自ずと、どなたにも回答が得られることでしょう。 幸福な死に顔に接することです。 それが、本当の死に方と考えます。 そこにまた死も感謝して受け容れられるでしょう・・・ そのように貴方も一度きりの人生の最後を、「楽しい笑顔」で旅立ちませんか・・・ 遺された遺族は、きっと貴方に偉大なる感謝を捧げるのではないですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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