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カテゴリ:ライフスタイル
「死後の世界は考えない」 ライフスタイル
○ あるともないとも断定できない ○ 死んでから分かることに煩わされない 父親の死体は、固くなり小さく見えた。 お通夜の席で葬儀社に花を飾られて、横たわっている。 どこかへいくのだろうか?それともこれで終りなのだろうか? 私には分からない。 生前仏師であったので、仏像は専門であった。 しかし、仏の魂はどうであったか定かではない。 よく怒る人であるから、仏教の考え方では、相容れない面はあったかもしれない。 南方戦線での戦友の霊を弔うために、仏像を彫りだしたのがその切っ掛けである。 家族はそのお蔭で貧乏を経験した。 今になるとそれも、「良き体験」と姉弟とも、その霊前でしんみりと語り合っていた。 父親の最晩年は幸せであっただろう。私にはそう思える。 人間は生きることには苦労はするが、死ぬ恐怖にも苛まれ、死後の世界や霊界を考える。・・・ 「幸せならそれでいいじゃない・・・」と映画の台詞であったが。 実際この考え方は、実に正鵠を得た考えと、感心した覚えがある。 何故、死後の世界を考える必要がないのかは、明白である。 理由は「分からない」からである。 荘子の思想に、「今を生きなさい、(過ぎた過去を振り返らず、まだ見ぬ明日に怯えず)・・・」 という全うな考え方が、私は好きである。 もし死ぬならどうすればよいか、「幸せな死に顔」でした。を理想として、そのような自分の姿を想像してみたい。 その先はどうなのか??? 冬のペチカを囲み、ドストエフスキーや、チェーホフは考えたことだろう。 彼らは何を見たのか、 キリスト教の天国や地獄を見たのであろうか? それとも私たちと同じく、何も分からないまま、死んでしまったのだろうか? 一ついえることは、死を考えるのは「暇つぶし」以上のものを、得ることはないのだろうと思う。 大切なのは、生きている以上毎日の幸福に必要な、心構えと行いにあるのは誰にでも分かる道理である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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