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カテゴリ:ライフスタイル
「自己の殻を脱ぎ捨てる」 ライフスタイル
○ われ思う、故にわれあり? ○ 自分は無い・・・ デカルトは、懐疑的に人生を探求し、一つの事実に気が付いた。 それは、この世の中に確かなものは無いのでは?と考え始めてから、 長い年月をかけたどり着いたのであろうか? 近代哲学の巨人の考え方。「私のみが確かに存在している」という事実。 さて釈迦はそれを遡る2000年以上前に、「私は無い」と語られた。 さて私たちには、どちらが正しいのか理解できないのが、正直な感想である。 「自分が無い」と言われても、実際今考えている【自分は存在する】のが不正確なら、 今の自分とは一体何なのであろうか? それを「空なる存在」と呼ぶこともできるのだろう。 夏になると蝉の抜け殻をたくさん見かけることができる。 かつて成長過程に身につけていた、身体の外縁部、 蛇もある。ミイラもその通りだが、蝉の抜け殻とミイラは違うと認識しがちである。 人間もセミや蛇も全て、やがては抜け殻をこの地上へと残して、生命エネルギーと 地上で拝借した要素(抜け殻)を分離させていく。 生命エネルギーは永遠と言われ、始めも終わりも無く続くと考えられている。 私たち人智では知りえない、「世界の始まりと終わり」 子どもの頃の疑問「宇宙に果てはあるのだろうか?」 果ては無く、始まりも終わりも無い・・・ 私達の知恵は、この事実を捉え得ない。 近代哲学の巨人デカルトが理解できなかった。「私は存在しない」を理解できれば、 平静な状態が築けると言われる。 私に執着するがゆえに、世界は争いの場と化してしまった。 私は存在しないを、理解すべき時がやってきている。・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 18, 2006 06:48:27 AM
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