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カテゴリ:ライフスタイル
「生死は混在一体」 ライフスタイル
○ 医学的な死 ○ 生死の境界線は曖昧 死亡診断書は医者が記入して、その死を証明する。 宗教の世界では、科学的に証明できない、霊界や天国、地獄、極楽・・・ 色々な死後の世界が登場する。 死後の世界があるから、生前の前世の世界まで出来上がっている。 私も、死について考えたことはある。 「死ぬのは実に嫌なこと・・・、できればシワだらけの老人になっても生き続けられるなら」 そのようなことも考えたりしたものだ。 仮に宗教的な輪廻転生で、「生まれ変わり死に変わり」があるなら、それはそれで「ホット」した記憶がありました。 やはり死んで終わりでは、つまらない・・・、何だか薄気味悪い気がしたことを憶えています。 「死=恐怖」と本能には刻印されています。 問題は死よりも、恐怖が作り出す妄想にあります。 この妄想が幸せに繋がるならそれでいいのですが、殆どは苦しみを産み出す原因になるでしょうから、この苦しみを脱却することが必要ではないかと思います。 死への恐怖はその前の、老化と病気の苦しみと繋がって理解されています。 ややこしくなるので整理しますと、痛みや生理的不快感を除外しますと、 死はそれを理解しづらいというよりも、「受け容れたくない」生命としての、拒絶反応から きているのではないでしょうか。 私の場合の「死の苦しみ」は、今後認識が不可能になることへの、暗黒の世界への落ち込みにありました。 実際は体験の記憶はありませんので、ただ本能的怖れでそう思ってしまっているのです。 「死への無知」がその恐怖の実体です。これを実体と呼べるかどうか? この恐怖が最近では薄れています。 それは、生きる意味と深く関わっているのだと気づいたからです。 生死はワンセットが、最近の私の認識です。 今日を無駄に生きるなら、「生も苦痛」、充実するなら、「生は幸福」という単純さにあるように 思えたからです。 死も苦痛=それは不満と不安だから、「死は幸福」それは充実した人生を歩めたから・・・ 平安の世界へ到達したなら、生死は混在一体としてくる気が致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 31, 2006 06:30:37 AM
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