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高峰秀子さん、愛称をデコちゃんの夢を見てみようと思う…。
彼女を語ることは木下恵介監督を語らなくてはならない。「二十四の瞳」「喜びと悲しみも幾年月」「かんかん娘帰る」まだ沢山あるが彼女の代表作である。
デコちゃんほど日本人を演じた人はいないし、観客の涙を搾り取った人でもある。日本の女性と母を演じらせたら右に出る人はいなかっただろう。彼女がいなかったら木下監督の作品は生まれなく、木下監督がいなかったらデコちゃんもここまで成長していなかったといえる。
木下監督に師事していた脚本家の松山善三さんの第一作監督作品「名もなく貧しく美しく」聾啞者夫婦の物語に出演したことから二人は結婚している。オシドリ夫婦を生きた人である。
「二十四の瞳」「喜びと悲しみも幾年月」この二つの傑作に出たことで跡がやりにくいものだが、持ち前の明るさと誠実さでのちの作品も丁寧な演技をしていた。
私はなぜかデコちゃんを見ているとそれだけで心癒されたものだ。母の腕に抱かれたような安心感も貰った。泣き顔で笑うと目がなくなってしまう、そんな表情はこの人にしかできない。とにかく何を演じても一生懸命の人だった。戦後の偉大な女優であった。
デコちゃんを語るとどうしても木下監督を語らなくてはならなくなる。
伊藤佐千夫氏の「野菊ごとき君なりき」深沢七郎氏の「楢山節考」「笛吹川」の二作、「惜春鳥」」「日本の悲劇」ありすぎて書けない。
監督のデビュー作は菊田一夫氏「花咲く港」そこから日本屈指の映画監督が誕生した。
スタッフは家族でまとめられていた。音楽は木下忠司、カメラは楠田浩之、脚本は櫛田芳子という風にである。当時の助監督は篠田正浩さん、大島渚さん、吉田喜重さんらが交代でついて監督業を学んでいた。日本のヌーベルバークの旗手であったが、木下監督のテーマの取り上げ方を篠田監督が引き継いでいたといえる。
「日本の悲劇」を木下監督の代表作という人は多いもが、私は「笛吹川」をあけたい。武田家の戦さ駆り出されて死んでいく6代続くの農民の姿を笛吹川の流れとして描いているこの作品が好きであるからだ。
デコちゃんは戦後の日本人、うらぶれた精神を持ち上げてくれ、怒りと笑み涙を思いおこさせてくれた大女優であった…。
デコちゃん、ご苦労様、そして、ありがとう…。
そんな夢が今の日本に誕生することを夢でなく実現してほしいものだ…。