![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/87a007157c022ac3b7e584fd164ed01cfd2a9a1a.15.2.9.2.jpeg)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/f0b71990ad2ee7f7f4a03ea6e399fc49e99f8917.15.2.9.2.jpeg)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/46670f759d1392ccec06b275b9a3008ea5c40e4d.15.2.9.2.jpeg)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/cc07e37d1e711ace39fb261712fbd14899f8832c.15.2.9.2.jpeg)
昨日、不思議な夢を見た…。23
年を取ると昔のことがよく夢に出てくる…。
片岡千恵蔵、市川歌右衛門、大友柳太郎、らの黄金時代の中に突如として若手が現れた、東千代乃介、大川橋蔵、里見浩太朗、伏見扇太郎、そして今夜の夢の主、中村錦之助…。
これは東映が全盛を誇ったときのメンバ―である。ここでは時代劇に絞りたい。今回はすべて敬称を略させていただく。
ラジオから流れていた新諸国物語、尾崎蘭堂の映画化で「笛吹童子」「紅孔雀」など続々と映画化されて日本中の少年を虜にした。その頃は児童向けのラジオドラマが盛んに放送されていた。その中に「赤胴鈴之助」も人気があり嫌いだが吉永小百合が出ていたそこに登場したのは歌舞伎の中村時蔵の倅の錦之助だった。それらで少年たちの心を掴んだ。
錦之助は長谷川伸さんの股旅ものへと移行する。ここで本領を発揮していく。股旅ものをやらせたらなん人も超えることのない彼の十八番となっていった。「瞼の母」「関の弥たっぺ」「沓掛時次郎」をはじめとして次々と演じ彼は観客を魅了しまくった。喝さいが鳴りやまなかった。大映では長谷川一夫が「雪の渡り鳥」などで火を噴いていた。この二人が股旅の双璧であった。
前にも書いたが突然に現代劇を「海の若人たち」に出てきたときには驚いた。商船学校の物語だった。これは今までになく新鮮に映った。それから有馬稲子さんと結婚、離婚、淡路恵子さんと結婚、少しは騒がしていたが恵子さんとはなくなる前までいい夫婦だった。
「宮本武蔵」「親鸞」「柳生一族の陰謀」「風雲児信長」この人も多くて書ききれない。
彼はプロダクションを作り独立、萬屋錦之助へと変身していった。が、役者がプロダクションをもって成功したことは無い。三船プロ、勝プロ、石原プロと思う様に運営が出来なかった。プロの四人が合作で共演したが、個性が個性を殺し合い出来は顔見世ということで終わった。
萬屋錦之助がいろいろな作品に出たが、あまり注目されたものは見当たらない。が、テレビドラマ「子連れ狼」ではまさに水を得た魚というべき彼の本領を発揮していた。その頃から病の兆候がうかがえていた。
彼は病床で恵子夫人に見守られながら夭折していった。
4人の大物俳優は大きな足跡を残し帰らぬ道へと旅立っていった。
今の人たちには思い出はないかもしれないが…。
ここに書くことで私の心によみがえり。
「この娑婆には、悲しいことや辛いことがある、が、忘れるこった、夜が更けて、あしたになりあ・・・」
関の弥たっぺでお夜に語った名台詞をを思いでしながら夢を閉じたい…。