昨日、不思議な夢を見た…。27
何やら忙しくて夢を見るのも忘れていた。ゲラが出来上がったら校正をしなくてはならない。書き手は校正の時に書いているものとして読んでします。ここは、家人にまかせて、ここがおかしいという言葉を待つことになる。
フランキー堺さん…。写楽とムーンライトセレナーデ―で仕事をさせて頂きました。
「おい、ゆうさん、すまんが皆に西瓜を食べさせたいが、良く冷えたものを10個ばかり手配しれくれないか」
「写楽」の大詰めの現場でのこと、フランキーさんはこの作品に執着があり、制作に一役、資金を大層出していた。蔦谷重三郎がフランキーさんの役どころであった。このころ、押しも押されぬ大御所になっておられた。そんなフランキーさんもこのおり病魔が体を蝕んでいたことは表情に少し出ていた。
「私は貝になりたい」「幕末太陽伝」この二作が私にとってはフランキーさんの代表作と思っている。社長シリーズ、駅前シリーズ、赤かぶ検事、まあ、いろんな役をこなしておられた。
進駐軍のキャンプでドラムをたたいていて、東宝の森繁久彌さんを始め、三木のり平さん、小林桂樹さん、加藤大介さん、多々良純さん、有島一郎さんらの芸達者と堂々互角に演じていたのを覚えている。それが「私は貝になりたい」で演技派として一躍躍り出た。川島雄三監督の代表作「幕末太陽伝」ではもう押しも押されぬ演技派として日本国中が評価したといえる。石原裕次郎さんがかすんでいた。フランキーさんは確か慶大を出ていたと記憶している。
人間としてその足跡は誰にも劣ることは無い。とっつきにくい感じを最初受けたが、あの笑顔はなんとも素晴らしい表情を醸し出していた。真田広之さん、河崎長一郎さん、加藤治子さん、岩下志麻さん、他何十人という俳優さんたちが参加しての撮影、、福山の弥勒の里のオープンセットには遅い桜が満開で、また、スターたちがそれに花を添えていて楽しい現場だった。
フランキーさんはその現場に出番がなくても顔を覗け満足そうな表情を見せていた。
「ゆうさん、付き人が2日ほど東京へ帰るので劇団から適当な人を世話してくれんだろうか」
フランキーさんはにこにこと笑いながら言葉を投げてきた。この人選は何を言われてもにこにことこなす人を選んだ。
付き人につけた劇団の役者はふらふらしていた。が、フランキーさんの付き人が出来ることは誉であった。
撮影終了、アップの時には乾杯の音頭をフランキーさんが取り尾頭付きの赤飯のロケ弁がふるまわれた。
そのあと、フランキーさんとは「ムーンライトセレナーデ―」
で写真館のおじさんの役として仕事をしたが、それが最後になった。
今思えば人として素晴らしい人だった。あの頃綺羅星の如くいたスターの中でもひときわ光っていた、その暗い世情を、また、高度成長の日本に笑いと涙を齎してくれ、人間の悲喜こもごもを感じ取らせてくださったと思っている。
こうして書いていると時代のスターたちのおかげで今があるといえる。
床や主が戦犯にとわれ十三回階段を上り「私は貝になりたい」と言葉落とす、そして・・・。
そこに日本の当時の現状が披歴されていた現実を国民は涙して見つめていた。
「末は博士か大臣か」では菊池寛さんを演じておられた、この作品は心にのこっています
喜劇もこなした演技派の名優・・・
フランキー堺さん、ありがとうございました。
この文を書いていてフランキーさんの偉大さをひしひしと感じました…。
私が惚れた男の一人でした…。![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/89b2e158afac14c90c64f8d34c130e8ede655ad0.15.2.9.2.jpeg)
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