昨日、不思議な夢を見た…。37
めぐりくる季節の中で
庭に面した部屋の縁側で三人の女性がそれぞれの人生を背負って座っていた。風が突然吹き付けてその前に置かれていた日記帳をぺらぺとめくるように遊んでいた。よく見るとめくられたページには「春告げ鳥」と書かれてあった。
始まりは突然の様に訪れるが、それは前もって用意されていることなのかもしれない。
三人の女性にとってはその始まりであった。三人が集まったのは偶然ではなかった。長く病床での闘病生活を閉じてなくなった祖母秋子の、その葬儀もことなくすんで四十九日の法要と骨収めのために集まったのだった。
三人の前には祖母が病床の時にも枕辺に置いていた日記が置かれていた。
「おばあさまに何度も読ませてくださいとおねがいしたのですけれど、完成したらということだったの」
緑は内孫で祖母と一緒に暮らしていたのでよく言葉を交わしていた。祖母の仕草から多くのことを学んでいた。病院に見舞うために足しげく通ったのも緑が一番多かった。従姉妹の郁子は東京に住んでいて見舞いの数はそんなに訪れ事もなかった。また香苗も京都に住んでいて、郁子に比べれば近かったので見舞っていた。
三人はもう四十を少し過ぎていた。
緑のことを書くと、母の冴子は秋子の長女で家を継ぎ緑も男兄弟がなく後を継いでいた。
倉敷の美観地区から少し離れた昔からの住宅地に家はあった。
「私はおばあさまのことは何も知らない」
郁子の母の早苗は秋子の次女で東京の大学に通ってそのまま東京に残り家庭を持っていた。
「近かったのにたびたび来てあげられなくて…来るたびに痩せていくおばあさまを見るのがつらく…」
秋子の三女の紀子の子供の香苗は言葉を低く発していた。
秋子には三人の女の子しか生まれなかった。その子供たち、孫が縁側に座り秋子のことをしのんでいたのだった。三人の孫たちはそれぞれに秋子の日記を手に取りいつくしむように祖母をしのんでいた。
五月の緑の風は温かくなりつつあった日差しに包まれながら流れて三人を包んでいた。
人はそれぞれの生きる環境の中にいてそこに生きていく色をおとしつくられるのか・・・。
三人の孫たちはそれぞれの生き方の中に思いを残しつつ暮らしていた。
春を告げるのはいつも鶯だった。庭の木々の間からその鳴き声で告げられ春が来ていた。
秋子の日記「春告げ鳥」の書き出しはこの様に書かれていた。
日記は四冊に分かれていた。「夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」という風にであった。秋子はその四冊を順を追っては書いていなかった。
春を始まりとし、夏は盛んな事、秋は物思うこと、冬を考えることに書き分けていた。それらは秋子の心象風景であり情景描写が綴られていた。
「何をしているの、膳の用意もできたから座って」
緑の母の冴子が三人に声をかけた。緑は和装の佇まいであった。郁子と香苗は洋装の喪服を着ていた。
「はい」
緑はそう返して三人は立ち上がった。
柔らかな日差しが日記を照らし出していた。
その時が始まりであった。三人にとっての祖母秋子を知る出会いでもあった。
「春告げ鳥」
春はまだ浅かったけれど鶯のなき声が庭の木立をかいくぐって聞こえて来て春が訪れる日が近いと感じていた。
私の十四の春だった。
ここまで書いて世界の情勢が騒がしくなった。
書こうか書くまいか・・・。
だが、この静寂は不気味である…夢か現か幻か…。
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最終更新日
2017年04月28日 21時46分02秒
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