昨日、不思議な夢を見た…。39
明日から5月とは…。年月を過客とは、つい先だって寒い寒いと正月を迎え、あっという間に4月までなんと早かったのか、歳を取ると余計に早く感じている。
齢75歳にして迷いっぱなしであった。頭痛持ちがそれを抱えて日々を過ごし、人様が寝静まって遺書の作品を書き続けられたのもこれはもはや天の啓示なのかもしれない。その書いたものが出版されるとは、また世間に対して迷惑をかけることになると思うと申し訳なくしぼんでしまう。
本当は5月の緑の風の中をサツキやツツジに彩られた小径をあてもなく徘徊し自然の中で両手両足を伸ばせて欠伸でもしたいところだが、申し訳程度の散策しかできない。これは心で思うことで実際今までやったことがない。
今年はやろうと決めている。少し体いじめて体力をつけ15年ぶりに東京へ赴きお世話になる出版社に挨拶でもと思っている。
これが最後の出版であり、東京であると思っている。
「貧しいから、あなたに差し上げられるものと言ったら、5月のみどりの風と愛する心だけです」
イギリスの作家クローニンの言葉が浮かぶ。
歳を取って衰えているが、なぜか頭は冴えてきている。3月には4作並行して作品を書き完成させた。これは戯曲を書いていた時以来である。
小説と戯曲をひねだす脳が違うが、なぜ両方が書けるかはわからない。アントン・チェホフはそれが出来たが世界ではまれな作家だった。日本においては両方をものにしたのは井上ひさし氏くらいで、あとは小説を書いている合間に書いた人たちである。松本清張、水上勉氏、遠藤周作氏、五木寛之氏、武者小路実篤氏、小説家が書けることはまれなのだ。
戯曲は詩人が書けるもの、同じ頭脳の範疇に属している。世界では詩人が戯曲をものにしていることが多い。
私は良寛さんをじっと見つめてきた。そして戯曲の最期をこのように閉じた。
「貞心さん、歌も、書も、水仕事も習ってはならん。創るのじゃ、自分のものをな。縛られてはならん、地位や名誉に…。仏とは衆生、それを救わんで何が仏の使いなのか…。押掛けの弟子への最後の言葉じゃ」少し微笑んでそう言われる。
その教えが私への・・・。いいえ、嫌でございます・・・嫌で・・・息の細くなられた良寛さまにもっともっと言葉を頂きたくて・・・お声を掛けて頂きたくて・・・
「貞心さん、この世は総て夢、夢に生き、夢に遊び、この良寛、貴女のお陰で好い夢が見られた」
形見とて何か残さむ春の花
夏ほととぎす秋は紅葉(良寛)
生き死にの界はなれて住む身にも
避けぬ別れのあるぞかなしい(貞心)
と耳元でうたうつらさ・・・それに応えるかのように・・・蒲団の上に座ろうと為さり、私が抱き起こして・・・
裏みせ表を見せて散るもみじ'(良寛)
囁くように呟かれ、そして穏やかに・・・。
良寛さまは・・・この世のお人のあらゆる悩みや苦しみをみんな背負われて・・・何もそこまでなさらなくても・・・人の悩みや苦しみは塩入り峠の雪と同じで春が来れば・・・いま、この貞心、人の生きるということの尊さが・・・。
良寛さま・・・あなた・・・。
「なぜに、なぜに、死にとうない、死にとうないと未練な言葉を・・・。
どうせなら、貞心よ、一緒に死のうと言うては下さらなかったのです」
一人、貞心の明かり。貞心は静かに机に向かい筆を走らせている。
これは私がゆめの中で書いたものです…。