いつか何処かで…。12
気圧に作用される健康も何十年と経験すれば慣れようというものだが、そうはいかない。今日も頭は鬱陶しい日だった。そんな日が続いている。作品など書ける状態ではなくこうしてここに書くのがようやくというところ…。
「めぐり来る季節の中で」で女性を書く為にいろいろと思考し構想を練っているのだけれど、
今の女性は本当に幸せなのか、という疑問をもってしまいます。それは幸せ、生きがい、という概念に関してだが、私にはわからないことが多い。
動物のメスとしての女性の本能を書こうとして、それがどうしても現実を見ていると書けない。女性の本能を書こうとして、昔からの女性の生活の中での本能を見ていくと、日本は決して性奴隷ではなく、
平塚雷鳥が言った「かつては女性は太陽であった」という言葉にぶつかる。かつてではなくいつの時代も太陽の様な存在であったことをあらゆるものから確認できる。雷鳥はなにを言いたかったのだろうか。女性解放、馬鹿な、女性は常に開放されていた。振り回されていたのはむしろ男であった。大正デモクラシーの盛んなおり、あの開放的なモダンないでたちを見ても女性は隷属されていなかったということがわかる。
また、足尾銅山の鉱毒事件に物申した福田英子氏、大獄自県の時菅野菅氏を見ても堂々と政府と渡り合っている。そこに自由がなく考えがなかったとは思えないし、つまり、自立して自我をもって生きてなくてはその行動は出来なかったということだ。
松井須磨子氏のことを書かなくてはなるまい。
「カチュウシャの唄」を歌い一世を風靡したこの歌はトルストイの「復活」を島村抱月が訳して脚本にしたものでその主役のカチュウシャを松井須磨子が演じて歌ったものだ。この時代には眼を見張るべき活躍は素晴らしいものがある。日本の一人者になった。「人形の家」のノラを演じ、あまたの作品に出ていて日本の演劇界をリードした人である。
妻のいる島村抱月と恋愛関係になり世間を騒がすことになるが、寧ろこのスキャンダルは世間に好意的に受け入れせられ、女性の自立として持て囃される部分もあった。
抱月がスペイン風邪で亡くなるとその2か月後の命日に花と線香を二人の写真に備えて首をつり人生の幕を閉じた。これは大変な衝撃を与えたものであった。
ここに女性の自我をとらえるべきか純真な愛とみるのかで意見は分かれることだろう。
が、私はこの自殺は完成ではなく未完成とする考えがある。何か太宰の甘えを見、愛というものを勘違いしているとみる。
このように流れがどのように女性に変化を与えていくのか、江戸時代には戒めとして姦通罪があったが、維新以後にはなくなり性に対しても非常におおらかな時代、家庭持ちの男とのいわば不倫が正当に恋愛という形を取り受け入れられた社会へと変貌していく。与謝野鉄幹と晶子、それも奪略婚である。晶子の「君死に給うことなかれ…」という弟に書いた詩など男を奪った女性がよくも当たり前のことを書いたものだと可笑しくなる。
このような時代の女性の遍歴を見ていてもなお解放と叫ぶ雷鳥の言葉の意味が分からない。
私はむしろ安倍貞のように愛するあまり男を独占するために男根を切り取った貞の方がいとおしく感じている。爾来、女性の本能は貞に軍配を上げたい。
女性は子供を育て、男は戦場へ赴く、これが世界の歴史であった時代、子供を育てる為に精一杯に働き育てている。夫の戦死後は決して孤高を守ったのではなく、戦争未亡人として社会に貢献している。例えば夜這いの相手をする、この風習は男を経験させ男女の夫婦生活にとって何にが必要かを感じ取らせて貢献をしている。未亡人は決して不幸ではなく一番にもてはやされた階級であった。
昭和33年3月1日に売春禁止法が出来、日本の伝統的な制度はなくなった年だが、それが正しいものであったのかは疑念だ。今。世界の風潮としてはそれを合法とする国が先進国で多いということでもその必要性を認めている。その制度がなくなってレイプが増えたという報告もあり、政府は売春は禁止しているが風俗営業には見て見ぬふりをして緩和地帯を作っている。いってみれば合法ではないがそれを恋愛としてなら構わないということに塗り替えたのである。
市川房江氏などがやさしく女性はこうあるべきだということでウーマンリブが盛んになり男女社会の変革を問う時代もあった。がすぐ下火なった。それは何もデモなどしなくてもそれらのは女性の地位は保たれていることを知って後退した。
私は現代の女性は極言すれば不幸であると思っている。結婚が出来ない、少子化だと、世間から騒がれているが、自立と自我のバランスが崩れていて社会に取り残されているという感じだ。女性の体験の低年齢化、男の体験の高齢化など、中高で何もかも知り尽くした者が結婚という縛られた関係を作ることはできないと思う。結婚してもこの浮気の多さ、離婚の増加を見ても、性に呈してわがままに享楽的な行動をしてのふるまいは、男を委縮させ結婚願望を喪失させる以外何もない。一部の男にとっては喜ばしいところだが、大方の男は女性から逃避し一人の方が良いという現象が生じている。
早い未来には男が女性を求めない時代が来ることを予見する…。
このあたりのことはまとめて書き続けたいと思っている。なぜ。
これが次作のテーマであるからです…。