いつか何処かで・・・。21
倉敷は晴天が、余り気温は上がらなかったが、私の病気にはクーラーが適しているので入れている。
気圧が人体にどれほど作用するのかはホ通に健康の人には皆無だろう。
今、書こうとしている「今の女性は本当に幸せなのか」をテーマにした作品、「めぐりくる季節の中で」の構想は行き詰まっている。あまりにもテーマが壮大で出てくる人たちもかなりの数になりそれをかき分けなくてはならないという事は大変な作業になる。舞台の戯曲は50-80人の書き分けをしたことがあるが小説ではそんな長編は初めてである。
古代の女性がどのように生きたか、歴史の中の女性の生き方を生活を見本として現代の女性の本幹を書くことになる。
構成としては「春告げ鳥」「夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」4章にして書くことにしている。
祖母が残した日記を娘と孫たちが読み祖母の生き方の中から女性の真実の姿を見出し、比較するという流れである。
下書きは筆ペンで書いているが、その日によって思いが変わり前に進まない。
戯曲の2時間物120枚は一晩で書けたのにという思いもあり焦りもある。衰えを感じることもある。
今回、幻冬舎から出版する「砂漠の燈台」200枚「銀杏繁れる木の下で」100枚「天使の子守唄」60枚「麗老」50枚の作品が納められる。
創作秘話 「砂漠の燈台」
この作品は、私が読みたいから書いたものだ。この歳になって若かったころに読んだ物を引っ張り出してと言うのも億劫なので書きながら読むと言う事で書き始めた。五年前に書斎をリフォームして五千冊以上は破棄した。あとには、図書館でもないというものを遺したが六畳の間に平積みをしていて、昔の書斎のようになにが何処の棚と分かっていた時と違って何処にあるのかも分からなくなったからと言う事もある。
今は背表を見てこの本を読んだのはあの頃だったなと記憶を呼び醒ましてほくそ笑んでいる。私は読んだ本はすぐに忘れて次々と乱読していたから覚えていないと思っていた、が、背表を見ていると何処にこのような事が書いてあったと思い返している、と言う事は記憶のなかに蓄積しているということになる。そんなに精読をしていないのにと、作者に
申し訳ないと思うが、今思い出されると言う事はある意味で作者が作品を通して私の心をつかみ、私はその思いを心に畳んでいたという事なのだ。
忘れていること、そのなかから私の書くものに影響を、人間を教えていてくれたことに感謝しなくてはならない。
多い時には二・三万冊はあったから、積読ものもかなりあったが、そのなかから知識となり知恵に切り替えられたものも沢山あったろう。それが私の頭の中で私なりの表現に変えながら書いたと言えよう。
福沢諭吉氏が、国家、民族、と言う言葉を発明し、作り、今では世界中で使われるようになっていることもありがたいもので、総ての言葉を先人が発見し、名前を付け、たものである。が、それらを使い書いて創造物だからと言って著作権を欲しがる作家の多くは何と言ういやしい考えしか持ち合わせていないのだろうか。
作家が金に執着をし欲を持つと碌な事はない、それが今の日本に文学が育たないと言う事に通じている。まず先人が残した言葉を使って今を書き後の世まで遺すと言う事は無いらしい。今、金が欲しい乞食根性なのである。
私はそんな本を読みたいとは思わないから、自分のために書いている。
爾来、書きものをするという事は自分の備忘禄として、また、子孫のために書いたものだ。作家は金に目がくらんだ亡者、著作権なんか溝に捨てることをお勧めしたい。
この「砂漠の燈台」は自然と人間の一体化を基軸にして人間のこころに巣くう曖昧な心の中から光を見つけると言う物語にした。
敗れ成就しなかった恋、青春の思い出が何時までも心に燃えていて、それを心の糧にして人生に挑戦すると言う物語を書いた。そんな小説を読みいと思ったからだ。歳をとると若い人たちの物語を、はかない時の巡りのなかに生きる人達の物語を読んでみたいと言う事も書く動機であった。
今を生きている人達に文句は一言もない。その人たちになにが正しいかを言う資格は何処の誰でもない。ます、自分はこのように生きると言う事を持って生きることだと思うからだ。それを世間に対してこれが生きることの大切さだ、と言うのは宗教家、哲学者である物書きではない。物書きはその人たちよりもっと先に進んでいなくてはならないと言うのが持論だ。これは、歴史家、郷土史家の人達と大いに違う点だ。物書きはロマンを持たなくては書けない、常識ではなく知恵がなくては書けない、足元を見て全体を想像する力を持っていないと書けない、時間を感じてその時代に飛んでいける感性がなくては書けない、人の死を見てその人の全人格、過去と現在と未来を感じなくては書けない、雲のあり方を見て世界の趨勢を感じ取る機知がなくては書けない、顔や名前を物語の中で人格を持ったひとりの人間として書かなくてはならない、それがなくては一行も書けないものなのだ、が、今の作家はそれがなくては書くことが出来るらしい。見上げたものである。
私は、明治大正時代の偉人の物書き宮武外骨が大好きである。見えていたから何ものにも動じず書きたい事を書き放り出したのだ。この反骨精神こそが人間の証しである。
また、坂口安吾、この人からは狂気とあくなき執着を見て取れることになぜか親しみを感じる、堕落、それは一番に人間らしいなどとほざくあたりは喝采ものだ。この人の物が今は読まれているのか、これほど心やさしい作家はいないと言える。何をしてもそれが人間と言うものだからいいのだ、この言い訳は見事としか言えない。
宮武外骨と坂口安吾の共通しているものは人間の優しさであり、それゆえに持たなくてはならないものは狂喜なのだと教えてくれる。
私は二人ほど優しくはない、だからきれいなものを書いた、書きたいと言う自己満足をしているのだ。
砂漠の中で道に迷う人達のために砂漠の中で明りを灯そうと言う一人の女性の姿を書き著わした。それは、人の心に巣くう不遜と傲慢なことなのかも知れないと思いながら書いた…。
明日、私はサハラ砂漠にいるかも知れない…。と言う言葉を最後として閉じた…。
続編は、人間と自然との関わり合いについて、また、これからの人間の進む道を問うという形で書いた。
燈台、それは人の心にある事を書きたかった