いつか何処かで・・・。27
倉敷は朝方の激しい振り込みと違って薄日の刺す一日だった
梅雨のしとしとという降りではなかった。風が吹き植木が飛ばされ木が倒れていた。
余り熱く無い日でも頭を冷やす為にクーラーは欠かせない。
今回、出版するものの中に「麗老」という短編も載せている。
老いていく中でどのように生き考えるの書き連ねたものだ。
「麗老」は定年をした男がいかに生きるのかを一面的な視点で書きたかった。綺麗に老いる、それはどういう性質のものか、真実などあるわけもないことを承知していた。少し遊び心を入れて重たいテーマを軽く書こうとした。老いという側面を多少なりとも書けていればと思いたい。書いた後、私には弁解の余地などないことを承知しています。読まれた方がなんだーと思われてもそれについて煩労をする勇気もない。こんな生きかた、があってもいいとご寛容に理解していただければ、書いた甲斐があったというもの、書き手のいい逃れは一切しません。
今、老いた人達の生活苦や生きがいについての問題も取り上げられているが、老いは等しくみんなに訪れる。
若い時から老いた時間をどの様に過ごすのかを、私なりの観点で書いた。
釈迦は人生を4区切りしている。
25までを学業期、25-50までを家住期、50-75までを林住期、75-100までを遊行期としている。
定年のころは林住期、人生で一番充実した時期であるという。今までの生き方を閉じて新しい人生を新しい気持ちで優雅に生きよという事だ。生きて感じたものをもってその時代を充実して生きよという。
なにかの転換期、今までしたいと思ってもできなかったことをする時間だという。
私は50歳ではないが60歳で劇作家も演出家もすべて捨てて75歳まで遊び人に徹した。その間できなかった、世界の歴史、日本の歴史、世界の宗教、古代の文明の中に15年間遊んだ。その期間で書きたくてしょうがない時期があり、拘らなく書いていた。それはそれぞれ出版した。やはり過去を引きずるものだが、それもありだと五木寛之氏は言っている。
それは言って見れば年寄りの玩具の様なもので子供がほしがるように年寄りもほしがる物と実感した。
この遊び人の期間があったことで「砂漠の燈台」という本が生まれることになった。
老いと生きる、そこに時間の無駄をないことを知った。
人は利他的に生きてこそ利己を評価されることも、人に必要とされる生き方が健康を呼んでくることも・・・。
老いて経済的に困窮しても今の日本の福祉では最低の生活でも生きられる。金がないからと何もくよくよすることは無い社会である。
定年制の廃止、年金支給の延長、人は体が動けばその時間があれば働くべきである、それが社会に役に立っているという自覚が持てる。
生きているとはそうしたものだ。
「麗老」の中の歳よりも突き詰めて考えるがなるようにしかならないことで今を生きることで明日を待つという生き方にたどり着く。
私は劇作家から小説家へと流れたが、皆さんも今までしたかったことに果敢に調整して新しい生き方に挑戦してみてはどうか、そこには今まで見えなかった世界がひられていることは間違いない。
老いるとは新しいあなたを作るためのチャレンジなのだという事で、林住期を、遊行期を第二の人生として歩み始めるチャンスの始まりである。
老いて何も失うものはない、そして何かを作ろうなどと考えることはない自由に生きて結果を期待しないことだ。その過程が楽しければいい、そして、明日を迎える喜びを迎えてほしい。
そんな意味で「麗老」を書いた。
年寄りの人たちに、幸あれ、健康であれ、そして遊び心を失わないでほしいと思い書いた。
物語の中ではいろいろに問題に直面し心惑わされ人とは何かを考えるが、自分が人間であることを認識したところで終わりにした。
老いは素晴らしい時間である。生きた人生を整えるのではなく、旅立ちの時である…。