いつか何処かで・・・。28
倉敷は梅雨空になっている、いつ雨が降っても可笑しくない…。こんな日は何をするにも億劫だ。
もう無理をせずに病と道連れで生きていこうとしているが。私のおねも枠のようにはいかない。毎日違ったところが文句を言う。まあ、不養生して生きた付けなのか…。
先日老いについて書いたが、いくら男が誘因性性欲だと言っても、け世間では女性が勇ましく露出をして誘惑する。ここには確実に表現の自由がある。と確認する。取り締まりは掛け声だけで放置している。緩衝地帯を割くるという事で性犯罪を緩和させているともいえるが、若者ならいいが、年寄りにとっては地獄である。歳を取っても男は男である。
私が東京に招かれても行きたくないのは目のやり場がなく立ちどまるしかないという事もある。過激すぎ、ついていけない。
そんな中で昔書いたものを思い出した。
創作秘話 「天使の子守り唄」
この作品を書いたのはもう四十年も前のことだ。私の住む水島の公害が緩やかになり喘息の死者もそんなに出なくなっていた。と言うのは工場の煙突を高くして煤煙を拡散させ遠くの土地に其の被害が出ている時だった。
私を文学に導いてくれた、先輩の山本信夫さんの哀悼として書いた。
山本さんにはアントン・チェホフを私に教えてくれた人であった。其の造詣は近隣では及ぶ人はいなかった。
この作品の中で私は人間の老いにおける本能を問いたかった。男に取っての本能は自分の血を繋げると言うものだ。そして、女の本能もよりたくましく頭のいい種を持つ男との子孫を残すことであることだと思っていた。
老いても其の欲望は消えることのない本能の業火に身を焼かれる一人の男を、ヘルパーと言う職業で出会う女性との時間と偶然を書いて問題を提議すると言うものだった。当時私は三十そこそこの若造であった。年寄りのことなど知る由もない立場にいた。
訪問看護をするヘルパーの事は承知していた。あくまで其の二人の本能をあからさまに書くのではなくそうなる必然を筋立てた。
夫を事故で亡くし子供を抱えた未亡人を、ヘルパーとして登場させた。
まだ今のように老人介護の福祉基盤は作られてはいなくて手探りの状態の中に無いよりはましと言う程度の政策の上に成り立っていた。
この頃私は努めて取材をしている。また、ヘルパーの実態もある程度つかんでいた。
一人暮らしの年寄りを介護して金品をせしめているというヘルパーの実態も知っていた。また、其の年寄りを慰めることもあったという事も感知していた。
年寄りの性、今その年になってつくづく厄介なものであると手に余ることが多い其の現実に直面して、よくも其の当時に書けたものだという感慨を持つことがある。若さゆえ、今だったら書けたかどうか、年寄りの性への執着、それが生きることの辛さと重なって悲哀すら感じることをよくも書けたものだと思う。
この二人を私は鬼と表現した、人間ではなく鬼、なぜ、人間の倫理も理性もかなぐり捨てて本能だけで遇いまみえる行為を鬼畜としか思えなくて書いた。
今、歳を取って読み進めていたら、真実が見えることに驚愕している。人間の悲しい実存なる行為、これは現代社会においても避けては通れない福祉の現実だった。
年寄りは行為の対価をそっと落とす。それを子供のためと拾う、其のドライな感情は人間の欲なき自然営みに思える。
私はこの作品で性を書こうしたのではなく、人間の在り方のひとかけらを明らかにしたかった。
図らずも、この作品は現在の高齢化、障害者の性に対しての問題に対してのテーゼーとして、そんな大層な事を思ったのではなく、年寄りもただの人間の男女の生きざまを私が歳をとった時に対しての定義であることには違いない。
歳をとる、それは何を意味するのか、快楽と言う、本能、またはそれを凌駕して生きる人間の業を問いかけることで人間のもののあわれを、悲しみを書き遺しておきたかったという事だ。
今、其の歳になって遺された本能だけに振り回されている多くの人達が其の業火の中でのたうちまわっている現実を前にして茫然と佇む影が長い事を知る。
それは国による福祉の枠では到底おさまるものではなく、これからの世代の人達はそれを凌駕出来る手立てを日頃から整えなくてはならない…。
この作品も「砂漠の燈台」の中に収めた。
生きるという事は何時までもその執着が消えないという、これは一種の拷問である…。その業火の中で生きる男の悲哀と切なさを書けていれば・・・。