いつか何処かで・・・。33
倉敷は鬱陶しい憂鬱に一日、雲はどんよりと低く垂れこめている。いつ雨が落ちて来ても不思議でしない。元気に花ビラを開いているのはアジサイ、ひきわりが時期に遅れまいと急に成長の度合いを増している。
そんな自然の営みに頬が緩む。
衰えを感じている。もともと持病として持っていた自律神経失調症は交感神経と副交感神経のゆがみから来ていて、体の随所に支障をきたす。医師に行ってもどこも悪くなくという人になればこの病名をくれる。
まあ、人間は生き過ぎているという事なのかもしれない。明治のころまでは平均寿命は50年、平均身長は5尺、よくもよくも体躯で大男の白人と互角に戦ったものだ。識字率では日本は群を抜いていた。60%の人たちが読み書きそろばんが出来ていた。その頃、イギリス、フランス、アメリカは10%に届いてはいない。シナにしても朝鮮にしてもほんのわずかの知識層しか読み書きは出なかった。アジアの向学心と向上心を持っている人たちは日本に来て世界の文学思想を学んでいた。日本は諸外国のものを日本語に翻訳して国民はそれを読んでいたから、その中に混じって日本に勉強をしに来ていた人たちは学んだ、シナは世界の名著の翻訳はしていなかったから日本でそれらを習得して帰っていた。「阿Q正伝」の魯迅も日本で学びそれを持って帰ってシナの文化に貢献した。
今シナで使われている漢字の単語の70%は日本人が翻訳時に作った漢字である。そんなことを知るシナ人はいない。漢字の単語はシナが作ったと誤解している。日本が作った漢字を使わなくては意思の疎通などできないのだ。
今日本でも盛んにカタカナを使って表現している方が多いが、そのカタカナでは日本独特の意味をあらわすことはできない。それを知ってか知らずか得意になって使っている。言語の表現で飯を食っている作家と称する人たちがカタカナを多用していることはほとほと嘆かわしい。日本固有の細やかに表現ができないことの気が付いていない。
それは朝鮮のハングルで表現するときにおおざっぱな言葉しか書けないという事と同じで、朝鮮人の心を書けないという事だ。
人間にとっての言語はなくてはならないことで、しかもそれを表現する文字がないという事はその人たちの限界になる。
日本語ほど一つのものを見ていろいろな感情を表現できる言葉はない。世界のどこを探してもそれはない。
素晴らしい日本語だけの表現の言語があるのだからせめて物書きはそれを使って書いてほしいと思う。
今、私は新刊など読んでいないし、芥川、直木賞など相手にしてないので皆目分からないが、カタカナの置き換えはたくさんあるだろうことは感じている。言葉の端々にそれが出ているという事は書き物にも多用されていることだと結論が出来る。
古典を読み砕いて詩を書き曲を付けて歌っているのはさだましさ
位か。日本語の言葉の中にカタカナが混じるので理解できない人も多かろう。
まず、カタカナの表現をなくして日本語で語れと言いたい。英語をカタカナにして語ることがさも立派なと勘違いをしている日本人の偽文化人はここを改めてほしい。
広辞苑を開いて見てほしい、一つの漢字で幾通りにも表現が書かれている。物書きはその一言にこだわるところから始まる。もっともっと自分が表現したい漢字がないかと探す。それが一つの喜びになってこそ物書きの端くれになれる。今はその漢字も使用は制限されている。が、一度書いてあとは編集者と話し合うことだ。若い頃新聞に書いていたころには漢字は中学校1年生程度でという制限を与えられた。物書きとしたらこの制限は殺されたようなものだった。3年間ほど連載したがそこで逃げた。
劇作も同じで話し言葉で書かなくてはならない、それはそれで理解できたのだが、小説の世界ではその制限はどうか…。
今、自分のために書いているから自由に漢字が使え、表現も書き連ねることが出来る。
長い道のりで今漸くに物が書ける、社会が認めようが認められなかろうが、そんなことは知ったことではない。
自分の好きなことを書いているとき程楽しく生きていると感じることはない。
メソポタミア文明の中のシュメール文明の文字と日本のカタカナが酷似している、これは何らかの交流あったという事…。縄文紀人には文化があり文字が作られていた…。