いつか何処かで・・・。34
倉敷は梅雨の晴れ間とはいいがたい。どんよりとして空。昨日から今朝にかけては激しい雨音が続いた。雨は落ちていないがいつ落ちて来ても不思議ではない。たぶん明日は降るだろう。私は気圧を敏感にとらうることが出来て気象庁より正確に変化を読み取ることが出来る。
アジサイ、またライラックという。この花を市区町村のものとして指定しているところは全国で多い。北斎がアジサイを画いているので探したが見つからなかった。
ドイツの医師シーボルトは愛妾の小滝さんをおもじって「おたくさん」と呼んだ、後にオランダで「日本植物誌」を書き日本のアジサイ14種を紹介している。
アジサイを「七変花」「八仙花」と呼ぶ。「またぐりぐさ」とも・・・。
花言葉としては「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」という事だ。
だが、美しいものには常に毒があることを忘れないこと…。
いや毒があるから美しいともいえる。
私はアジサイを見て思い出すことがある。
季節もちょうど今、雨が激しくはないがしとしとと落ちていた。
私は、書き物が一段落したので家人がやっている茶店のカウンターに座りコーヒーを飲んで書いたことを頭に並べて整理していた。普通なら店は終わっていて明かりを落としているところだが、カウンターの上だけはつけていた。
ドアに着けている鐘が揺れて音がかすかに響いた。風の悪戯かなと思ってほっておいた。その音は断続的に響いていた。
「あの、まだいいですか・・・」とドアの外から届いてきた。
私はドアに近づき鍵を外してあけた。そこには傘もささず立たずむ30くらいの女性が立っていた。
「すいません、こんな時間に、御無理でしょうか」
言葉の端にこの人の性格が出ていた。
「いや、コーヒーくらいならお出しできますが…」
「いつも昼間にこの道を通って店の前に咲くアジサイを眺めていたのですが、夜分に無性に見たくなって…」
店の前にはアジサイが咲き誇っていた。雨に濡れてより鮮やかに見せていた。
「どうぞ」
厨房に入りサイホンでコーヒーを淹れた。
30歳前後でしっとりとした女性で何か憂いを含んでいる顔だった。
彼女はコーヒーを口に運んで、
「おいしい」と言った。
「このご近所ですか」
「はい、会社の社宅です、今日は主人は夜勤なもので、トーレスの仕事をしていたのですが、雨のあじさいがみたくなり・・・ご迷惑をおかけいたします」
「そんなに恐縮していただかなくてもいいです。私も暇でコーヒーを楽しんでいたところですから」
「少しお話を聞いていただけますか」
「構いませんよ、答えを求められると困りますが」
「私って駄目な女なのです。主人にたくさん隠し事あって、亡くなるまでもっていかなくてはならないのです」
「・・・」
彼女は自分の過去を語り始めていた。
だれにも言えなかったことを私に吐き出すように語った。
「聞いて戴き心が軽くなりました」
彼女の顔に今までにない微笑みがこぼれていた。よほど思いつめていて誰かに聞いてほしかったのだろう。
私は聞いている間、何か不思議な思いに駆られていた。
それは彼女の若かったころの壮絶な体験だった。
倉敷水島の公害闘争に関わって東京から男女5人で入ってきていた。
運動資金を稼ぐために、彼女たちは夜の街に立って客を取っていたという。
そのあと主人と巡り合い結婚していた。
このことは主人には絶対に言えないことだと言った。
私もその闘争に関わっていたので、なぜ、という感じがした。
「子供たちが、お年寄りがなくなるのをじっと見つめていることが出来なかった」
彼女は最後にそう言葉を落とした。
私は何も言えなかった。呆然として公害闘争のことを思い出していた。
ドアの鐘がかすかになり、彼女の姿が消えていた。
アジサイは家族の絆。人間の絆、一つの命を尊ぶ行いが彼女を街角に立たせていた…。