いつか何処かで…。37
倉敷は晴れているがむしむしして暑い。
7月に入った、歳を取ると月日流れはまるで五月雨のように早い。
毎日が青息吐息である。
若かったころには夏と冬には集中して作品を何本も二、三日で書き上げていた。それはもう夢とぞと思うになっている。
「めぐりくる季節の中で」の構想がまったくまとまらない、主人公の秋子が見えてこないのだ。見えてこないと何も分析が出来なくて途方に暮れることになる。途中まで書いて寝かせている。何も焦ることはない、これは現代女性へのメッセージとして書いているので頼まれたものではない。
この歳になっても人間がわからない、暗闇を彷徨ている。女性も男性も私の思考の範疇からはみ出していて理解の壁を越えられない。
この物語は女性の本能の美しさを書こうとしている。だから、古代からの女性を見詰めてその実態を捜そうとしている。男からしたら女性は永遠に神秘の中にいることになる。
物書きにとっては男女の恋愛は主要のテーマであるが、果たして本性まで書ききれているのかはわからない。
私が初めてそれらの作品を読んだのは、武者小路実篤さんの「友情」であった。今までも筋書きは覚えている。強烈に心に沁み込んだのだ。恋に悩む青年達の姿が描かれていた。明治維新後の女性の処女性を重んじていた時代だから簡単に恋することでは結ばれることもなかった。
その頃に、華厳の滝に身を投げた一高の学生、藤村操氏の辞世の句に衝撃を受けた。
「ゆうゆうたるかな天上、朗々たるかな古今、この五尺の小体をもって大を計らん・・・万有の真相一言にして尽く曰不可解・・・」華厳の滝にはこの文が碑として刻まれている。
何もわからないことが真相であると言っている。これもまた生き方なのだと思えるようになったのは時間が過ぎたころである。
森鴎外の「高瀬舟」により安楽死を自覚した。罪を犯した弟を安楽死させる兄の物語であった。
田山花袋の「蒲団」、幸田露伴の「五重塔」志賀直哉の「小僧と神様」芥川龍之介の「蜘蛛の糸」夏目漱石の「三四郎」菊池寛の「無名作家の日記」それらをある時期枕にして眠った。
外国のものも、ジィド、サルトル、ベケット、ゲーテ、トルストイ、ツルゲーネフ、イプセン、チェーホフ、ドフトエフスキー、
このころはなんでも読み漁っていた。哲学書、心理学書、マルクス、スミス、などもわかりもしないのに読んでいた。
読んでいまもこころにのこっているまのは、チェーホフとドフトエフスキー、ジィド、ラシーヌ、ヘミングウェー位だ。今ではすっかり忘れているが名前だけはこころに引っかかっている。
坂口安吾の「風博士」は脚色して公演した。懐かしさがある。
戦後、日本文学で影響を受けたのは、読んだのは安倍公房だろう。坂口安吾、谷崎潤一郎、三島由紀夫らの作品はすべて読んでいる。また、当時芥川賞を貰った作品はすべて読んでいる。書いていけばきりがない、芥川賞の作品では三浦哲郎「忍ぶ川」宮本輝「蛍川」柴田翔「されどわれらが日々」などが印象として残っている。
劇作家の端くれとしては日本の戯曲を読まなくてはと思ったが読んではいない。
なんでダボハゼのように読み漁ったという事だ。
この20年間は全く読んではいない。誰が何を書いているのかもさっぱりわからない。それがいいのか悪いのかもわからない。世間を騒がす作家が出てきていないという事か…。
出版界も大変らしい、活字離れが激しいという。
笹沢佐保、松本清張、水上勉、などは1カ月に何千枚も書いていた。今はそんな作家はいない。世界では1作がロングセラーになるからそれで次作まで食べられたが、日本はとにかく書かなくてはならない作家の宿命があった。
今では大小合わせて全国で5百ほどの荘があるが、それを取っ手作家と名乗る人もいるが作品も書けずに食べられないフリーターである。
苦節何十年という執念で出てきた作家には早晩出てきた作家との違いは歴然だ。要するに蓄積がない、当然の結果である。
そんな人が地方において賞の肩書で文化振興などしていたらたまったものではない。疲弊するのは当然である。
人間を書く人が人間ではない怪獣あれば人の心のひだなど読み取ることはかなわない。その人たちが地方の賞の審査員をしている、これは困ったものだ。
昔もあった、文学少女を食い放題していた人が審査員を、高校生を胎まして退職させられた先生が児童文学の審査員とは呆れたものだった。
今、日本には文学も哲学もその芽はない…。
色々と読んだり書いたが今はすべてを忘れている、時が過ぎれば何もかも過去になる。
が、頭のどこかに残り降臨するものかもしれない…。