いつか何処かで…。41
倉敷は朝方激しい雨に見廻われた。梅雨という実感がしている。
そんな夏の初めに私は昔を思い出していた。
「夏告げ鳥とはツバメのことを言う。ツバメは渡り鳥で環境を熟知していて巣を作るにも居心地のいい環境を選んで作る。それは風水的にも正して作り方であるらしい。昔からツバメは縁起がいいとしてきた、それは環境と風水が整っているということだ。水田の稲作において害虫をたべてくれ益鳥として収穫をもたらしくくれる。
またツバメが巣を作ってくれるとその家には幸せが来るという。つまり繁栄するということだ。巣を作るときには作る家の人を見て作るともいう。その判断力を持っているということだ。
恋愛、子宝、商売繁盛をもたらし成就に高家するとも言われている。
そのツバメが最近全くいなくなり姿を見ることができない。私にそれだけの徳がないということなのか…。
夏を告げてくれるツバメ、ツバメだけではない秋を告げてくれる雀にも何年か出会っていない。
生き物についてはいろいろな説があるが、それだけ自然は崩壊しているのだろうか。生物は環境によってつねに絶滅の危機にさらされている。その繰り返しの歴史でもある。
先に書いたことで思い当たることがある。50-60歳の10年間には私の家のスタジオの天井に毎年ツバメが巣を作っていた。その頃はものすごく充実しい裾が獅子吼楽しい期間であった。ツバメのことを今書いていてツバメによる幸運の縁起を感じている。何もかも捨ててからはツバメは巣を作らなくなった。私ほ毎年応援に来てくれていたのかと思う。
皆さんの家にはツバメが巣を作ってくれているのでしょうか。
これはあくまで延期話かもしれないが、ふるくから伝承されている言葉でもある。
巣を作る家を選ぶときにそこに住む人を見て作る、燕には本能的に良し悪しがわかるということなのだ。恐れ入りましたというほかない。
ツバメといえば昔の仲間、梅内女史の小説「片つばめ」を思い出す。この作品は女流文学賞の佳作に入ったものだが、女性の運命をツバメに託し今年巣を作ってくれたら何も醸す捨て恋する人のとこへ行こう、来なかったら今のままで耐えて生きようという物語であった。
この作品にはとことん付き合わされた。毎晩書いたものを電話口で読むのを聞かされる、女優を目指していただけに滑舌も鼻濁も完璧で感情をこめて読まれる。それを聞いたことは私にとっても勉強になった。が毎晩、朝までということもしばしばで私が原稿を書けなくて困るということもあった。が、一日一日と作品として完成する、それは聞かされている私も楽しく自分のことのようにうれしかった。
私が相槌を打たずに黙り込むと、
「ここがだめだといいたいのでしょう」
と言い切り返してくる。それは一種の禅問答のようなものだった。
選者の三浦哲郎氏に激賞されたが惜しくも佳作だった。
彼女はそこで書くことをやめた。
「文学をしたのは人間としての生き方をさぐるため、言ってみればこころのせんたくなのよ」
と言ってのけ、つくば市でフランス料理店を経営し、その後には岩井半四郎につついて舞踊を習い流派を作った。彼女のそれが最終の目的で作家になることではなかった。
若かったころ、文学座の杉村春子に内弟子に来ないかと言われるほどの役者根性を持っていたが、彼女には付きまとう父の影があった。それは戦争中のものだった。彼女の父親は人間魚雷の製作にかかわっていたことがc級戦犯に問われ拘束されその罪が解かれても居場所がなくて逃げ回っていたと聞かされた。
私はそこに戦争の一つの影を見た。
彼女の父親が公職追放になったのではないかと思う。
のちに呉服屋の次男坊さんと結婚して二人の女の子の母になった、そんなころ文学仲間として知り合った。
着物の似合う人だった。いつも着物に身を包んでいた。
そんな過去をもって「片つばめ」を来るか来ないか、そこに人生を託する女性の生きざまを書き綴っていたのだ。
父親のこと、母親のこと、そして自分の運命をツバメに託したということだ。
花があり才能はこぼれるほど持っていたが賞を区切りとして別の人生をえらんだ。通過点として次なる挑戦をしていった。
私が今あるのは彼女からもらったものが心に残ったからだと思う。
書く執念と開き直り、人に歴史ありを知らされた。
ツバメ、それは未来を予言するものと認識している。
今、ツバメを見ることはないが私の心の中にはたくさんのツバメたち、人生を背負った人たちの姿が思い浮かんでいる…。