いつか何処かで…。45
倉敷は朝方に雨が降ったが、今はやんで薄日が差しいている。
この季節は小野小町が生きた時代と少しも変わっていない。
同じ環境の中で同じ生き方をするということはない。そこには機根があり、時代を背景にしていとなみがある。その一コマを覘いたといえようか…。
これば小町を書いた時のノートです。
「小町」創作ノート
小町がだんだん形になっていく。小町の姿が見えてきた。顔かたち、瞳の大きさ、鼻の高さ、朱唇、腰に垂れる豊穣な黒髪などがだんだん見えてきた。こうなればこっちのもの90パーセントが出来たようなものです。
才色兼備の美人であった。が謎が多すぎる。文徳天皇の皇太子惟仁と惟喬太子との確執に、藤原家と紀家の争いに・・・詰まり政変に巻き込まれた形跡が見えてきた。
小野家と文徳帝の中宮紀静子の第一太子惟喬との関係、文徳帝と藤原明子の子惟仁皇太子後の清和天皇、この図形になにやら謎が隠されていそである。
小野滝雄には二人の女の子があった。姉は仁明天皇の更衣であった。が、妹は姉を大町というので妹を小町と綽名したとしたら・・・。そして、なぜに六歌仙となったか・・・。政変に巻き込まれ不遇の死・・・。そして歌の神へと立てまつわれたのか・・・。
前回の本文に続いて…。
季節で申せば春であったのか・・・。それとも冬への道のりの秋・・・。
この館にはお二人のお姫ごがおられました。上のお姫子は吉子さま、下のお姫ごは清子さまと申されました。お二人の歳の開きは四歳、吉子さまはこの琵琶湖に面した小野の荘でお生まれになられ、清子さまは北国の出羽でございました。お父上の小野龍雄様が出羽に国司としておいでになられていたときに清子さまはお生まれになったので御座います。
当時流行の唐風の衣をまとい、髪を両の耳の上に束ねて組み庭に出て遊んでおられる姿はまるで天女のようでございました。いつもお二人は同じお伊達をなさっておいでで御座いました。二人の天女が風に舞って空を泳いでおいでのようで御座いました。
幼さをちりばめたお顔にも育ち行く後のお顔が見えるようで、それは咲く前の蕾の開いた花を思い起こすことが出来たのでございました。
吉子さまは肌の色は卵の白みのように透き通っておられ、それに引き換え雪国生まれの清子さまは雪焼けした肌のように地黒で御座いました。なんと言う不思議なえにしで御座いましょう。
お父上の出羽守の任が解かれ琵琶湖畔の小野の荘へ帰られたのは吉子さまが十二、清子さまが八歳のときでございました。
幼い頃からそれは利発なお子でございました。万葉集を学び、書を習い、お父上の文章博士のお勉強もずいぶんと積まれておいでで御座いました。そんな従順なお方で御座いましたから館様もお喜びになられ大事に育てておいでで御座いました。
お二人とも劣らぬお元気なお姫子で御座いました。
人の世の習い、小町は女人として成長するに従いそこに無常を感じるようになる。
この続きは明日にのこして…。
昨今は自分の至らなさを棚に上げて被害者ぶり横柄な態度でまかり通る輩が多くみられる。すべて自分のため、社会を騒がす愉快犯のように…。幼稚園のおっさん、ロリコンの官僚、定見なき政治家、自分の言葉を持たぬ似非文化人たち、金のために転ぶ学者、人権なき弁護士たち…。
狂っているとしか思えない。
この国は海に漂う島なのか、行き着く港は遠く果てしない…。